2015年3月31日(火) 桜花も見ずに家内は旅だった
 8時に起床して掃除中に家内の弟より電話が入り「看護師より出来るだけ早く病院に来た方が良い」と言われているとの話であった。その時期が近付いたのかとタクシーに乗り10:15に病室に到着です。その時,家内は肩で呼吸していたが「来たで」と呼びかけても返事は無い。家内の弟は,昨夕私が「家内の症状が悪くなった。逢えるのは今しかないかも。」と家内の弟(完全認知症の母と二人暮らし)に電話を入れていたのだが,母親を介護施設に預けて夜9時に病室に来て泊まり込んでくれました。
 家内は夜通し意味ない言葉を発するので寝られなかったとのことでした。これだから介護者も疲れるのです。ふと,家内の携帯を見るとメールが入っており,それは
家内の洋裁学校時代からの親友(私より長い50年近い付き合い)からで,「今病院で診察待ちです。後で病室に行きます。」との内容でした。家内が病室を代わったのを知らないため私が彼女に電話を入れると自宅に帰られており,「以前の病棟に行ったが,何処に移ったのか個人情報とのことで教えてもらえなかった。」,「今から直ぐに,その病棟に行きます。」とのことでした。
 11時半頃その友人が来られ,家内に声をかけると薄目を開けて友人が来られたのを気付いたようです。
 30分毎ぐらいに病室に来られる,医師や看護師からは「
奥さんに声をかけてあげてください。」と言われます。13時ごろの義弟が食事に行っている間に,私は家内に聞こえるように家内の悪口を家内の友人に話し始めました。「家内はこれまで好き勝手にやってきました。」,「欲しいものがあれば,価格にかかわらず購入してくれたおかげで,預金は殆どありません。」,「ハワイを含めて海外旅行が好きで,働いている私を置いて出かけてました。」,「お酒が好きで,良く外で飲んで帰り,家でも毎晩晩酌で酔っ払て寝ます。」,「おかげで家はゴミ屋敷です。」と言うと,友達も「よく飲みに行っていました。」と言いました。
 敢えて悪口を家内の枕元で喋っていると,家内がその声が聞こえていたのか半目を開けて私を見たので,私は家内に「今まで好きなようにしてきたな~。もう好きなようにしたら良えよ。」,「俺のことは,大丈夫やから気にせんで良えで。もう良えで。」と言うと
家内の目から涙が零れ落ち,肩で呼吸していたのに直ぐに呼吸が止まり,安心したように息を引き取りました。
 握っていた家内の手が冷たくなってきたので,足も触ってみると冷たくなってきていました。そして,1分ほどで唇の色が紫色に変わりました。家内が天国に召された時間は13:12でした。急いで看護師を呼ぶと,家内が亡くなったとは言わずに「
弟(義弟)さんを呼んであげてください。」と言うので,電話を入れると家内の枕元のスマホに着信が入ったのです。実は,家内がフラダンスを好きなので病室でスマホからハワイアンを流していたのでした。そこで,家内の友人に義弟を探してもらえるようにお願いしました。

 暫く家内の側にいると,
口から緑色の液体が流れ出ました。これは,家内が胸苦しくなった時に時々戻した液体なのでティッシュで拭いました。しかし,緑の液体はどんどん口から流れ出るようになったので,沢山ティッシュを敷きましたが量が多すぎます。腫瘍により異様に腹部が腫れており腹水も一杯溜まっていたので,それが口から溢れ出はじめたのでした。(予想
 違う看護師が来られてチューブで緑の液体を吸引してくれました。500cc程度を吸引すると液体は出なくなったのですが,口の中や歯が緑色に変色して,半目を開けたままで亡くなっている家内を見て
非常に可哀想になり,看護師に目を閉じさせてもらいました。
 やがて,義弟は戻ってきたが臨終に立ち会うことができませんでした。そして,1時間後ぐらいに医師が病室に来られ,脈拍,瞳孔を調べられた後で私たちに「
よろしいですか。」(死亡の同意を求める?)と言われ,「死亡時間は14:26です。」と言われました。私は,家内が息を引き取る瞬間に立ち会っており,その時間は13:12だったのですが記録上は14:26となります。
 手足が動かなく声も出せない状態であった家内は,涙を出して別れを告げて全く苦しまずに息を引き取りました。その顔は,苦痛から解放されて安心して眠っているようでした。私は眠っている家内の顔を見て「起きろや。」「家に帰ろか。」と言ったが反応は無かった。でも,私一人でなく,大親友にも送られて天国に行くことが出来て良かったね。

 病室で2時間近くをかけて家内の体を洗ってくれて,新しいパジャマ(21日にシンクロ仲間に購入してきてもらい,私が洗濯をして来た。)に着せ替えてもらい,薄化粧までしてくれるのですが,私は生きているような顔した家内(
体は無残です。残酷です。)を見ることが出来ず,卑怯にも病室を出ました。
 そして先ず,弟に家内が亡くなった旨を伝え,直ぐに病院に来てくれるように頼みました。また,葬儀社に電話を入れて17時過ぎに病院まで迎えに来てくれるように依頼するとともに,お通夜,葬儀の日にちを決めました。(近年火葬場が混雑しており,火葬場次第で葬儀が2~3日遅れることがあります。)葬儀会場はでは,その日は空いておりお通夜は4月1日,葬儀は4月2日の13時から(火葬は15時からなので)と決めました。
 家内が亡くなった瞬間に,私の精神状態がおかしくなり何もできなくなるのでは危惧していたのですが,今日は
不思議なほど冷静に処理でき精神安定剤も必要ではなかった。(案外私は追いつめられると,精神的に強くなるのか・・・現役時代もそうだった記憶がある。)

 17時過ぎに家内の処理(ごめん!適切な言葉が浮かばない)が済んだので寝台ベッドに載せられ,
緩和病棟の担当医,看護師長,担当看護師と共に専用エレベータで地下1階に降ります。そこでは消化器内科部長,担当医2名,看護師長,担当だった看護師が待っておられ,全員が寝台車に寝せた家内に頭を下げて礼をして見送って頂きました。この病院では”最後”まで面倒を見てくれると聞いていましたが,ここまで対応してくれるとは大感謝です。私が落ち着き次第,お礼に伺います。
 葬儀場への道中で,40年間も家内と一緒に過ごした自宅(マンション)が見える場所に寝台車を止めてもらい,私の横に寝ている家内に「家に帰りたかったんやろ。」,「帰って来たで。」,「庭の桜は満開になっているねん。」,「見せたかったわ。」,「部屋のベッドに寝かせてあげたいが,狭くて無理やねん。」,「甲斐性無しでかんにんな。」と謝りました。
 
 葬儀社で弟立会いの下に葬儀の詳細を決めました。私一人なら,見栄或は家内が可哀想なので
豪華な葬儀にしてしまう可能性があるのです。(父の時にそうしたのを弟は覚えています。)お坊さんは私の実家に毎月お参りに来てもらっており,私も面識のある方を弟が頼んでくれました。
 自宅に連れて帰ることができない家内は
霊安室に安置して貰うことにし,葬儀社を出るときに家内の顔を見ると”どうみても眠っている”としか思えなく「おい 起きろや。」と声をかて涙を落とすだけの情けない夫でした。。12月22日に入院当時の家内は非常に痩せており,2月18日に入院してからも殆ど食べられず点滴により延命して来たが,体中が浮腫んで少し痩せている程度に見にしか見えない。穏やかな顔をして眠っているので,がん患者独特の痩せ細った惨めさが見られないので,死んだとは信じられないのです。
 家内は辛さを我慢して私のために頑張ってくれました。普通の人の旅立ちは,夜中か明け方が多いのですが,朝に弱い私のことを慮って,そして
私の許可(俺のことは,何とかなるから,気にせんで良え。)を貰った13:12に旅立ったのですね。私が,もっと早く家内の気持ちに気が付けば苦しむ時間が少なかったのに。あの息を引き取った瞬間の家内の顔は,残り短い生涯でも絶対に忘れません。忘れることができません。
 12月26日に消化器内科部長から言われた”
余命3ケ月”は見事に当たり,桜の花よりも先に命の花を散らせました。家内は66年の人生を”好きなように生きた”ことに悔いはないだろう反面,人間の欲望には切がなく,もっと元気に遊びたかったのだろうと思うと可哀想で仕方がありません。人生を殆ど捨ててしまった私が”先に逝く”方が良かったのにね。
 家内には可哀想ですが,一人で霊安室で休んでもらうことにして実家に帰りました。

 実家に帰って,先ず母に家内が亡くなったことを報告する必要があるのだが私には出来ない。母には「家内は膵臓が悪いので入院している。」,「入院は長引くかもしれない。」としか言っていないのです。それが,私から「亡くなった。」と言えば間もなく94歳になる母が,どのようになるのか判らないのです。因みに,家内の母は
認知症なので娘(家内)の死を知らせても,反応は無い。認知症は他人迷惑ですが,本人は何も感じないので幸せです。?
 そこで,先ず弟に家内が亡くなったことを伝えてもらい,落ち着いた頃に私が母に逢いに行った。母は号泣しており,「
可愛そうやな。」,「あんたは大丈夫か?」と声をかけてくれました。私は,滅茶苦茶無理をして「もう3ケ月近く一人で暮らしているので慣れたわ。」,「大抵のことは,一人でできるようになったで。」と言いました。
 その後,お通夜と葬儀の連絡ですが,葬儀は家族葬で
質素に行うので参列者も絞る必要があります。親族関係は,弟に連絡して貰い列席者を絞ります。ただ,私が少年期より仲の良かった従兄弟には列席を依頼しました。
 次は,家内の友人関係ですが遊び好きで交友関係が広い家内の友人を絞りこむために家内の携帯のメールや通話経歴から,詩吟,フラダンス,シンクロの代表を選び電話を入れて家内が亡くなった旨を伝えます。家内は病床でも強気で友人に接していたようで,一様に家内の死に驚愕されました。代表の方には,列席者は2~3名に絞って連絡して頂くようにお願いしました。

 実家で夕食を食べ,義弟(家内の弟)を連れて我が家に帰りました。自宅に到着後に義弟と二人で棺に入れる副葬品の準備です。先ずは,家内の大好きなフラダンスの衣装の選択です。
 白装束は,家内には似合わないので棺の中の白装束の家内に被せるフラダンス用のドレス,在り来たりの棺に被せる布は嫌いなので,棺の上にはフラダンス用のドレスを被せることにしました。
 そして,フラダンス歴12年の家内の部屋には,大会のたびに誂えていたドレスが沢山あるので,その内の3着を式場に飾ることにしました。また,副葬品として大阪のおばちゃん独特の派手なズボンとシャツ,タオル,肌着一式,靴,靴下,外出時には必ず腰につけていたポシェット,好きなサンバイザー,そして黄斑変性に良いと言われて1月に購入した眼鏡を選びました。
 最後は,私から毎日酒(ビールと焼酎)ばかりを飲むから「アル中!」と言われるのを隠すために使用していた大きな湯呑を選び,明日からに備えて寝ることにしました。
2015年3月30日(月) まだ,頑張ってくれています
 昨日,最愛の妻から「もう,死んでも良いですか?」と言われてから,その言葉が気になり,今日も寝不足です。その言葉は”敬語”であり夫婦間の言葉ではないので,他人に言っていたのだろうか?本心から,”そのように”に思って言ったのだろうか?私も”頑張って”と言ってしまったが,見舞いの方からもそれを言われるのでプレッシャーだったのか?目を見開いて言っていたので,本当は私に先に逝くことの同意を求めたのだろうか。その他,いろいろ考えると眠れませんでした。
 今朝も病院に行くまでの間に居間の整理を行ったが,余りの量の多さに一向に片付かない。時間になったので自宅を自転車で出て,病棟到着は11:13でした。私は家内に「来たで。」と言うと,目をつぶったまま家内は「はい。」と答えてくれました。暫くすると医師(若い女医さんです。)が病室に入って来られ,「奥さんの状態は悪くなっており,痛み止めの薬を飲むことが出来なくなったので,腹部にポンプで送ります。」,「そして,昨日は精神的に不安定となられたので,安定剤もその中に入れます。」との説明です。看護師が家内に「お腹に注射します。」と言うと,「はい。」と答え,「チクットしますよ。」と言われても,「はい。」と家内は答えました。でも,目は開けず答えているので,声掛けに対して無意識に「はい。」と答えているのではと思いました。
 家内の容態が悪いのか,医師や看護師が頻繁に家内の様子を見に来てくれます。家内は,鼻に酸素を送り込まれて,眠ったままで大きく肩で息をして意味不明のことを言ったり,手を動かします。

 私は病室に居たのですが,精神的に限界に達しており昨日の家内の問いに対する答えが欲しくて,この病院内にあるがん相談支援センターを訪ねてみました。(元来,私は人の意見をあまり聞かず自分で結論をこじつける傾向にあったのですが,今回は答えが判りません。)そのセンターでは専任の看護師が来られて,これまでの経緯,私の家庭環境(夫婦二人だけで,他に看護する人が居ない。),私の健康問題(腎不全,高血圧,糖尿,自律神経失調症そして椎間板ヘルニア)を説明した後に「もう,死んでも良いですか?」と家内から尋ねられた場合の答えを教えてもらおうとしました。私は”もう頑張らんでも良いよ”と頭では思いますが,家内には口に出して言えませんと言いました。専任の看護師からは,「患者さんによって,色んなことを言われます。」,「本当に病気が苦しくて言われる場合が多いです。」と言われ,いろんな意見を出して頂き,私の健康状態にも気を使われます。「1ケ月以上,毎日病院に通われ普通の方でも精神的・肉体的に疲れるのに,いろんな病気をお持ちで一人で看護されていてはお疲れでしょう。」と言われたので,私は「この病院で処方してもらった精神安定剤”と”睡眠導入剤で何とか頑張っていますが,限界に近いです。」と話をしました。
 1時間以上色んな話をしていただいたのですが,私が納得できるような答えが出ず,自分で答えを決めることで相談室を出ました。

 病室に戻ると看護師から「昨夜は奥さんの体を拭いてあげた際は普通に喋られていました。」,「しかし,今朝から殆ど眠ったままで,昼過ぎには問いかけにも反応が無くなりました。」,「血圧も下がって来ており,何が起きても不思議義でない状態になりました。」と言われました,私は「体力が無く一旦自宅に帰りますが,容態急変時には連絡ください。」とお願いしました。
 15時過ぎになったので病院を出ようと,昨日の家内からの問いに応えるために家内の手を取り「これまで頑張ってきてくれたんやから,これからは自分の思うようにしたら良いよ。」,「俺のことは気にせんでも良いよ。何とかなるから。」と言うと,眠って意識が無いはずの家内の目から涙がこぼれました。(2013年8月28日にお見舞いに行った際の叔母さんも,涙を流した10時間後に亡くなりました。医師や看護師からも,「眠りに落ちた患者さんもご家族の話を聞かれており,反応されるのですよ。手を握って,喋ってあげてください。」と言われます。)
 私はその涙を見て,益々家内が哀れに思い,もう一度だけでいいから「有難う。お世話になりました。」と声に出して言ってから,眠るように逝って欲しいと思いました。そして,家内の問い(希望?)に対する私の答えが間違いなかったと確信しました。

 私は家内に帰宅する挨拶をしようとしていると医師が入って来られ,家内の容態を見てくれます。そして,医師は「先程の血液検査の結果を見られますか。」と言ったので,私は「結構です。どうせ,良くはなっていないのでしょう。」と断りました。それでも「腎臓の数値は徐々に悪くなっています。」と言ったので「私よりはマシでしょう。」言いましたが,私が狂っているのでしょう。
 暫く(30分以上),その医師(若い女医さんなのにしっかりしています。緩和病棟のような,治る見込みがなく死期を待つだけの患者の担当医になるとは尊敬します。)と話をしていると医師も私の体を気遣い「1ケ月以上も毎日病院に来られて看護されているのでお疲れでしょう。」,「家に帰られてお休みになったらどうですか。」と言われました。
 私は医師の言葉に甘えて,家内に「今日は帰るわ。明日また来るから。」と言ったのですが,家内から返事はありません。しかし,医師からは「奥さんは”はい”と言われましたよ。」と私を慰めてくれたのでしょうか,それとも,医師には判るのでしょうか。
 私が病室を出ると,医師は「病棟出口まで送らせていただきます。」と言って,一緒に歩きました。(医師が患者の家族を送ることなど有るのでしょうか。)出口までの途中に医師から「奥さんが緩和病棟に移られた時にご主人に大変お世話をかけていますと感謝され,これからのご主人のことを非常に心配されていました。」と話してくれました。私は家内から”家内が逝った後の私のことが心配だ”とは一切聞かされていませんでしたが,家内の「もう,死んでも良いですか?」と言った言葉は,病気の辛さに耐えることが出来なくなり私に同意を求めた言葉だったのですね。

 病院から出ると,偶然S医師(親戚)にお逢いして,家内の連日の症状を把握されているようで「お辛いでしょうが,最後まで看取ってあげてください。」と言われました。医師や看護師が家内や私に親切なのはS医師の・・・?いや,緩和病棟の医師や看護師は患者の立場にたって真剣に対応してくれているのでしょう。
 帰宅途中では”家内の気持ちいが判った”ことと”残りが少なくなった”で精神状態がおかしくなり,帰宅後に”精神安定剤”の服用です。もう,この薬が無ければ発狂しそうです。
 あの病院の緩和病棟では先の短い患者ばかりが入院しています。そして,通常の病棟なら人工呼吸器をつけ心電図で患者をモニタリングしているのですが,この病棟ではそれを行わず,頻繁に患者を見回り苦痛や精神的に苦しんでいる場合には,それらから患者を楽にして安らかに旅立つのを見守ってくれるようです。がん患者の方はホスピスや緩和病棟に入って苦しまずに天国に行ってくださいと思います。

 病院から家内の容態が変わると連絡が入ります。家族に患者の臨場に立ち会わせてあげるのが医師の務めなのでしょうか。あの病棟では,連日患者の家族(複数人)が病室に詰めかけたり談話室に集まっています。24時間面会は可能なのです。家内の部屋にはソファーベッドも用意して貰っているので,呼び出しがあれば泊まり込む予定で,家内の最後を看取ってあげたいのです。私は,これまで臨終に立ち会い看取ったことがありません。(父の場合は亡くなってから,病院から連絡が入ったのです。)そして,家内には私しか居らず,寂しい旅立ちとなりますが頼れる人もいません。(家族がいない場合には,このような寂しい別れになるのです。)大阪市内には,私の弟も居るのですが家内と弟は30年近く前に喧嘩をしたまま(家内の母が原因で,私もその義母とは絶交状態です。)で,弟は家内の見舞いににも来ず,家内も「来ていらん。」と言っているのです。私が頼めば弟はすぐに駆けつけてくれますが,弟は商売をしているので迷惑がかかります。
 しかし,家内が逝ってしまった直後には私が狂乱状態に陥り冷静に対応できるとは思いませんので,夜中であっても連絡するので直ぐに来てほしいと依頼済みです。でも,瞬間湯沸かし器のような私の性格上,葬儀は責任を持って行い家内がゴミ屋敷にしてしまった我が家に”お骨”は持って帰ります。もう,部屋の片づけを行う気力がなくなったのと,汚ないままにした方が家内が安心だろうと,そのままにしておきます。葬儀後の私は,どのようになるのか今は考えられません。

 とうとう,最後に近い暗い日記となってきました。この日記の更新が止まった日が,家内の逝った日となります。この日記を書いている現在も,家内は私のために頑張ってくれています
2015年3月29日(日) もう,死んでも良いですか
 **末期期症状で苦しむ最愛の妻から「もう,死んでも良いですか?」と言われたら,あなたはどのように応えますか。

 今日も眠られず7時過ぎに起きてしまいました。最近,家の中がゴミ屋敷となっているのが非常に気になっているのです。(綺麗な家で家内を迎えてあげたい。)しかし,絶対にありえないことであるが万が一家内が一時帰宅するかもと思い,目に見える場所(特に居間家内の部屋)は片付けられないのです。そこで,荷物入れの引き出しの中などを整理しているのですが,余りに量が多すぎるのと家内との思い出の品が多く,また私にも時間が無く遅々として進みません。(27日の朝8時からのテレビ朝日の番組を見られた方なら私の心境が判ると思います。)
 今朝は,病院に出かけるまでの間にシュレッダーで家内が意味もなく保存していた領収書類を処理しました。
 そして,バスで病院に向かい病棟で受付を行ったのは11:13です。担当の看護師さんが私を家内の病室に案内されるまでの間に「奥さんは,意味不明のことを言われることがありますが。返事をしてあげてください。」と言われました。私も時々,家内が何を言っている判らないことがあったのです。

 病室に入ると家内は眠っており,看護師が「優しい旦那さんが来られましたよ。」と家内に言いました。(消化器内科の女性部長からも私のことを家内に”優しい旦那さん”と言われました。私は,決して優しい旦那ではなく,卑怯な弱い旦那なのです。本当に優しい旦那なら,妻を自宅で看護したり,24時間病院で妻に付き添いますから。)家内は目を覚まして「・・・・・」と意味不明なことを言ったのですが,私を判ったようで「お腹を切ってん。」とパジャマを捲って腫れた腹部を見せます。当然傷口など無く,家内は夢の中で**の手術をしたのでしょうか。(手術をして**を直したかったのでしょう。)私は返す言葉が無く「風邪ひくで。」と言ってパジャマを下ろしました。暫くすると,家内は「もう死にたい。」,「鋏は何処や。」と言い始めました。鋏は消化器内科に入院中に,腹部の腫れが酷くショーツやパジャマが着られないので,それらに切れ目を入れるために家内の依頼で”大きな鋏”を持参したのでした。そこで,「鋏は引き出し(ベッドの脇机)の中や。」と答えましたが,私は危険を察知して家内に見えないように,私のカバンの中に仕舞い込みました。
 今日持参した洗濯物を家内に見せて,「この棚に入れておくからな。」と言うと,「有難う。」と返事をしました。そして,暫くすると家内は私の顔を見て「もう,死んでも良いですか?」と突然言い出しました。いつも強気な家内が,このような言葉を発するとは予想もしていなく吃驚しました。私は,どのように応えたら良いのか判りません。昨日までの家内の症状を見ていると,”家内との別れは仕方がない”と自分自身を納得させかけていたのですが・・・頭の中では「今までよく頑張った。もう頑張らんでも良えで。」と思う時もあるのですが,絶対に口には出せません。
 家内が私に”死出の旅立ち”の同意を求めている(と思う)のは,私が26日にも「頑張って。」と言ったからなのでしょうか。家内は私を寂しがらせないように,私のために”と戦っているのです。次に,家内は「何で生きてんの?」と私に聞きますが,これも応えることができません。やがて,家内は切なそうな顔をして「情けないわ。」と自分自身を悔やんでいます。家内は病で”半狂乱状態”になったと思いました。

 私は我慢が出来なくなり,看護師詰所に行き看護師に「家内が・・・・と質問してきます。」,「どのように,家内に応えたら良いのでしょうか。」聞きましたが,看護師は「お気の毒です。」,「患者さんによっては奥さんのようになられたり,怒り出したり,体が動かないのに暴れ出す方も居ます。」,「このような症状は,全て病気が原因で頭まで病巣が広がっている可能性があります。」(気が狂ったのではない。),「精神安定剤を投与しましょう。」と言いました。
 そして,病室に来られて家内に精神安定剤を飲ませると,暫くして家内は安心して眠りに落ちました。しかし,あの発言が家内の”本音”であるのかと思うと,家内が本当に可哀想で気の毒です。痛みに耐える辛い余生を過ごすのなら,このまま安らかに眠っても良いよとベッドの横で家内の手を握り思いますが,未だもう少しと思う自分との葛藤です。
 家内は夢を見ているのか「もう,良いです。」と何度も言い治療を断っているようなのです。本当に”生きる希望”を無くしてしまったようです。
 看護師は私に「いつ帰られても良いですよ。後は私が面倒見させてもらいます。」と言ってくれます。
 私は腰痛が酷く精神的落ち込みが大きいので15時に病室を出て,担当看護師に「今日は帰ります。家内をよろしくお願いします。」と言うと,「お疲れ様でした。気を付けてお帰りください。」と私の心のケアまでしてくれるのです。私は「有難うございます。」と言って病棟を出ました。腰痛のために腰を庇いながら歩く古稀間近の老人は,よほど”哀れ”に見えるのでしょう。それにしても,緩和病棟の看護師は家内だけでなく,私にも非常に親切で誠意を持って対応してくれます。家内が,看護師に手を合わせて「有難うございます。」と言う気が,良く判ります。緩和病棟に入られて良かったです。

 以上の会話は,最近私の精神状態が悪く”何でもメモする習慣”が付いてしまったので,真実の会話です。末期の**患者を妻に持つ夫は,私より強い人が殆どなのでしょうね。
 
 16時前に自宅に帰り1時間ほど横になった後で片付けの再開です。今夜からは,もう家内が帰って来られないと思うので居間の片づけを始めます。でも,家内が1日の多くの時間を過ごした場所ですから家内の匂いが残っており片付けは辛いです。
 夕食は完全に食欲がなくなったので,お粥を作り流し込みました。

 写真は昨年の6月22日に,大好きだったハワイで撮影したものです。楽しそうな笑顔で,食べて飲んでいますが,この笑顔はもう2度と見られません。まさか,その半年後に余命宣言をされるほどの重篤な病気になるとは想像もできませんでした。今思うのは,無理をしてでも”家内をハワイに行かせてあげて良かった”と言うことです。もし家内のハワイ行きに反対していたら,今頃は非常に悔いていたでしょう。連れ合いが元気なご夫婦は,”一寸先は闇”なのでご一緒での楽しい時間を大切にしてください。生涯独身だった方は”勝手にしてください”です。
2015年3月28日(土) 髪を切る
 昨夕,家内から電話が入って来て「明日10時半に美容師に来てもらって髪の毛を切って貰うねん。」,「看護師さんから,旦那さんも来てほしいと言うてるねん。」,「来てくれへん。」。」と言うので,何故私が立ち会う必要があるのだろうと疑問に思いながら「判った。10時過ぎには病院に行くわ。」と返事をしました。更に家内は「料金が高いらしいで。」と言うので,私は「そんなもん,なんぼでもええわ。」言って電話を切りました。今まで,好き勝手に美容院に行っていたのに,今更料金の心配をするなど何の変化や?

 いつもより早い時間に病院に行かねばならないと言うプレッシャー?からか7時過ぎに起きてしまいました。当然寝不足です。そして,家内の病室についたのは10:10でしたが家内は眠っていました。私は「来たで。」と言うと薄っすら目を開けて頷き,また眠ってしまいました。どうも体調が悪いようで朝食も摂らずに眠ったままのようでした。10時半を過ぎて2名の美容師が病室に来られました,家内は目を覚ましません。ベッドで寝込んでいる家内の下にシートを退き,美容師が家内に「どのようにしましょう?」と聞くと「短くしてください。」としか答えません。そこで,美容師は私に「5cmぐらいの長さで良いですか。」と尋ねたので,私は「その長さでお願いします。」と答えました。
 ここで,本日私が立ち合いを求められた理由が判りました。家内は痛み止め(麻薬)の投与で,朦朧とし始め自分自身があまり判らなくなってきたようです。(認知症ではではありません。私には,どのような症状が認知症なのか知っています。)
 美容師は寝たままの家内の髪の毛を短くしてくれました。家内はフラダンスを始めたこともあって,髪の毛を背中に届くまで伸ばしていたのですが,**症状がだんだん悪くなり頭髪を洗うのも,乾かすのも大変で体力が無くなると2月中旬に美容院に行く予定(予約)にしていました。しかし,体調が悪くなり予約をキャンセルして,とうとう入院してしまったのです。入院以降は看護師の方に髪の毛を洗ってもらっていたのですが,長い髪だと看護師に迷惑をかけるので本日切ることになったのです。
 写真は1995年(46歳)に取得したパスポート(先日引き出しの整理で出てきました。この頃は毎年海外旅行に行っていた入出国記録がありました。)の写真で,結婚以来ずっとショートカットでした。そして,この頃は太っていたのですが,今の家内の画像は残酷で紹介できません。

 昼食の時間となり,看護師が家内が食べられそうといってシャーベットまで用意してくれて食事を運んでくれました。昨日までは,量が少ないものの自分でスプーンを持ちお粥を食べていましたが,今日はその体力も無くなっていたので看護師がシャーベットを口に運んでくれます。
 その後,昨日家内が食べていたお粥に味が無いので,「海苔の佃煮を買うて来たろか。」と言うと,家内は「うん。」と言ったので,今日は海苔をお粥に入れて家内に食べさせました。しかし,ゆっくりとスプーン2杯をすすっただけでもう要らんと寝てしまいました。家内は12月中旬ぐらいからまともな食事が出来なくなり,とうとう自力での少量の食事も無理になってきました。
 この病棟では,延命治療はしませんので点滴や鼻からチューブを入れて栄養補給はしません。

 14時前に12月22日の緊急手術後に駆けつけてきてくれた叔母さんが,家内の見舞いに来てくれました。実は先日私が叔母さんに電話して「家内はもう長くないと思う。」と話したところ,「意識のあるうちに見舞いに行きたい。」と言ってくれたのでした。叔母さんが家内に声をかけると,家内は目を開けて「こんな情けない姿になってしもて。」と泣きはじめました。叔母さんは「あんたはこれまで病気もせえへん丈夫な体やった。」,「頑張って早よ直しや。」と励ますと家内は「有難う。」と言いました。家内は喋るとしんどそうなので,叔母さんと談話室で話をすることにしました。叔母さんは私に「**さん(家内)は今まで思う存分好きなことをしてきたから,思い残すことは無いやろう。」,「あんたも,出来るだけのことをして上げたんやから。」と私を励まします。私は「**は,自分だけ好きなことをして先に逝ってしまうのは許されへんのや。」,「早よ,家に帰って居間や自分の部屋を片付けろと言いたい。」と叔母さんだから言える胸の内を晒しました。また,叔母さんは「**さんは,好き勝手に旅行や買い物をして,あんなに幸せな人はあんまり居ないで。」言うので,私は「うちには子供が居ないから,老後には誰も面倒を見てくれん。そやから,老後に備えて節約しろと言っていた。」,「しかし,その時には何とかなると家内がいつも言った。」,「その答えが,自分だけ先に逝くことであったと判った。」と悲しい愚痴をこぼしました。
 私が家内の症状を書いたり,ゴミ屋敷の写真を日記に載せる理由は”自分自身を慰めるため”と”家内に,こんな部屋は汚くて恥ずかしいやろ。帰って来て一緒に片付けよ”と無理を言いたいのですが。私は馬鹿ですね。精神異常じゃないかと,自分自身を疑うときもありますが・・・

 叔母さんとは今後の話(後継ぎが居ないのなら,仏壇を買うたらあかん。命日にお坊さんにお祈りして貰うのは,男一人では大変やから永代供養して貰ったら。等の暗い話です。をして14時半に帰られました。私は病室ですることもなくベッドの側でテレビを観ていました。家内はずっと目をつぶったままですが,かなり荒い呼吸をしているので”頑張っている”のが判ります。この状態で,呼吸が止まると天国に召されるのかと家内の顔をときどき覗きます。病室では弱気を見せないように,私は無理をして冷静な態度を取っていますが,”私が側に居ても,家内に何もできない”と思うと悲しくなってきました。まだ,一緒に喋りたいのですが,目を開けてくれません。15時を過ぎて,私も疲れてきたので目をつぶっている(眠っている)家内に「明日も来るから。」と言うと,家内は小さな声で「有難う。」と言って手を合わせます。思うようにしゃべることができない家内にとって,合掌は最大限の感謝の気持ちなのでしょう。看護師にも,医師にもお礼の言葉と合掌をするようになった家内は・・・・悟ったのか

 帰宅後に”AOKI”に略礼を取に行き,そのついでにLIFEに立ち寄って買い物です。今まで購入したことのない冷凍食品まで買うようになり,家内の買い物好き病が感染したようです。本当は,古稀を迎えようとする老人が買い物籠を下げて連日食品を購入している自分の姿を考えて侘しく情けなくなるのですが。家庭が欲しい!!
 夕食はサーモンの刺身に絹こし豆腐として,もずくのインスタントスープを作って食べました。
2015年3月27日(金) 桜が咲き始めたが
 昨日病院を去る際に私が家内に無意識に「頑張ってな。」と言ってしまったことが気になっていて,何故そのようなことを言ってしまったのかと考えたのですが,心の底で”頑張って”=”未だ逝かないで”と言う思いがあったからですね。
 今日は8時過ぎに起床したが体調は良さそうです。私の体調は起床してみないと判らないのです。そう遠くない日に家内の還骨勤行を行える場所は私の部屋しかないので,掃除をしておかねばなりません。部屋の片隅に,本来なら真冬に私の部屋に敷くべき絨毯がたたんで置いてあり掃除が行き届いていないので,今日はその絨毯(重い!)を物干しに出して干しました。そして,部屋に掃除機をかけて清掃です。掃除は私の体力を奪い,疲れます。暫く休憩して病院に向かいました。
 今日は11時過ぎに病室に行くと家内はベッドを起こして座って点滴をうけていました。看護師から「旦那さんは,今日は何時ごろ帰られますか?」と聞かれたので,何故だろうと思いながら「4時ごろです。」と答えました。すると看護師は「昨夜奥さんが一人でベッドから降りてトイレに行き立ち上がれなくなりました。」,「今日からはベッドの周りに床センサーを設置して,奥さんがベッドから降りられたら看護師に判るようにします。」とのことでした。入院中に患者が怪我をすると看護師の責任になるからでしょうが,家内は看護師に迷惑をかけまいと頑張っているのです。家内には「看護師さんに,お願いしてな。」と諭しましたが,家内の気持ちが良く理解できます。
 また,看護師より「トイレに行こうと動いた際に漏らされて下着を汚されましたので,交換しました。」と言われたので,私は「有難うございます。」,「お世話をかけました。」と礼を言い,家内には「気にせんでもええで。」,「持って帰って洗濯するから。」と慰めました。本当に家内は辛いでしょうが私に頼ってください。。

 14時前に家内の弟が見舞いのために病室に来ました。家内には2人の弟がいるのですが,兄の方は東京の方に住んでおり音信不通で,弟の方は認知症の母を介護しているのです。(共に独身で,弟が気の毒に思いますが。)弟の方には12月に家内の”余命が3ケ月”と伝えていたのですが,2月に再入院して緩和病棟に移ったことを家内が伝えていませんでした。しかし,現在の状態では,いつ家内が亡くなるか判りません,急遽弟を呼んだのでした。家内の家族は少し変わっている?のか,肉親の情が薄いように思います。血の繋がった姉(私の家内)が**で余命が短いことを知っているのに,連絡もよこさないのです。私の親族は母,弟,叔父,叔母が家内を案じて週に一度は電話が入るのですが。
 家内の実家は現在空家であり,家内が週に1回詩吟教室で使用している関係上か税金や電気・水道料金を支払っています。しかし,家内が亡くなると私には関係のないことで,支払いは止めます。現在,テレビなどで空家問題がクローズアップされていますが,家内の実家がにその空家になるのです。そして,その家の名義は10年以上前に亡くなった父親なので,相続問題も難しそうです。家内には相続権があるのですが,家内が亡くなると権利は無くなりますから。認知症になった家内の母親と私は絶縁状態(30年近く前から,私が母親を嫌いで逢っていません・・・私の家族のプライドを傷付けた。)なので,家内が亡くなるとその家族とは”縁を切る”でしょう。血族を大切に思う私とは何の血の繋がりもありませんから。
 家内の弟には「先ず,家の荷物の整理をせないかん。」(この家族は,全員が片付けが苦手なのか我が家以上にゴミ屋敷状態らしい。),「片付けは,一人では出来へんので,業者に頼んだら。」,「そして,家は遺産相続を司法書士に頼んで名義変更して売却したら。」と話をしました。
 家内の病室で,家内がもう実家(家内の)には帰れない前提での話なので,気になったのですが弟と,その件で話してほしかったのです。病室で話をしていると家内は寝られず疲れると言ったので15時に弟と病院を出ました。

 先ず,一旦自宅に戻り家内の洗濯物を置くと”AOKI”に出かけました。家内のためだけではないのですが,現在持っているダブル略礼服は40年近く前に誂えた服で,痩せてしまった現在では胴回りが10cm以上も大きく着られないのです。今までは体型的に既製服が着られず,家内に付き添ってもらってスーツを作っていましたが,今日は生まれて初めて既製服店に行ったのです。流石に,標準体重まで痩せると簡単に略礼服が見つかりました。この様な服は,葬儀以外に着る機会が無いので安物で良かったのですが,余りみすぼらしい?のは家内や母に失礼なので・・・結構高いですね。ついでに白いワイシャツも購入しました。裾直しと名前入れは,いつ家内が・・・なので明日の夕方までにして貰うようにお願いしました。
 そして,その帰りにスーパーに寄って買い物をしたので帰宅は17時となりました。私も連日忙しいです。

 夕食は家内に教えてもらったハム入りスクランブルエッグを初めて作ってみました。味付けは,塩は使えないので胡椒(本日スーパーで購入)を入れたのですが,量が判らず千切りキャベツの上に載せて食べたら不味かった。まだまだ,家内に教えてもらわないといけないことが沢山あります。その他のおかずは,ポテトサラダだけでした。

 夕食の洗い物をしていると,ある方から「NHKで奥さんに先立たれた旦那さんの放送がされているから,参考になるのでは。」と電話が入りました。私のことを気遣って電話をしてくださったのですが,私はつれなく「見たくありません。」と断りました。大変失礼をしました。
 私がその番組を見たくない理由は,頭では家内との別れが近いことを判っているのですが,そのような番組を見ると悲しくて耐えられなくなるからです。そして,テレビで放映すると言うことは,その内容が編集者により”お涙ちょうだい”或は”それでも強く生きて行く”と番組を作ることをでき,本当の”妻に先立たれる旦那の気持ち”を表すことは不可能だと思うからです。私の様に,”精神安定剤”に頼って,いや逃げて家内との別れに耐えようとしている人間もいるのです。
 おりしも今朝は,テレビ朝日で”奥さんに先立たれた旦那さん”が自分の後のことを考えて家の中の整理を行う番組をしていました。整理は息子さんと一緒に行っており,荷物の中には先立たれた奥さんの着物や写真も出てきて,息子さんがそれを見て涙を漏らされていました。私が,家の中を片付けていると”家内のことが思い浮かび涙が出てくると日記に書いた気持ちと同じなのですね。朝からこのような番組を見てしまい,もらい泣きしてしまいました。なお,家内も偶然の今朝はこの番組を見たそうですが,どのように感じたのでしょうか。残された男は弱いのですよ。

 マンションの庭の桜の開花が始まりました。家内は,この庭のライトアップされた桜が好きでした。私も桜が好きですが,”パッと咲いてパッと散る”桜花が家内の生き様に似て今後嫌いになりそうです。家内は”桜の開花”までもたないのではと思っていましたが,今日も私のために頑張ってくれています
2015年3月26日(木) 3ケ月経過
 今日も8時過ぎに目覚めてしまい,睡眠時間は5時間程度です。従って,体が怠く寒いのでの暖房を入れて我慢です。昨日より緩和病棟に移った家内を介護するために,出来るだけ早く自宅を出たかったのですが体力がありません。
 今日は12月26日に消化器内科部長から言われた「抗がん剤投薬の効果が無ければ最長3ヶ月の余命です。」ですと言われてから,3ケ月が経過しました。あの時は,桜の開花とどちらが早いと考え目の前が真っ黒で倒れそうになりながら無意識に実家に帰っていました。医師から言われたように抗がん剤による治療が出来ず,12月26日は自力でコンビニ行けた家内も今はトイレに行くのも介護が必要となりました。
 今日は11:40に病室に行くと家内はベッドに寝ており,「尿が出ないので管を入れて出して貰った。」,「350cc出たで。」と昨日より容態は悪くなっています。しかし,3ケ月が経過した今日も私と喋ることだけは出来るのです。それでも,声が出ずらく口内炎で喋るのが辛いのか家内の言っている言葉の半分程度しか理解できず,私が「えっ?」と聞き直すと家内は「もうええわ。」と話すのを止めます。昼食(マカロニスープとヨーグルト)が運ばれたので,ベッドを起こそうとするが家内は体をせり上げることが出来ず看護師に援助をしてもらう次第です。
 家内は寝転んでも腹部の腫れが痛く体制を変えるのが無理で,私の来るのを待っていたかのように枕元のティシュや薬等を取ってくれるように頼みます。この状態なら,1日中家内に付き添をしてあげて,家内の介護をしてあげればよいのですか,私には体力的に無理です。このような時にこそ,家内が可哀想で”家族”が欲しいのです。しかし,家内には頼りないものの私が付いています,私が家内と同じになった場合は誰も居ないのです。この病棟は個室しかないのですが,誰も付き添いの無い孤独患者も多数居るようです。
 今日は1時間ほど家内の浮腫んだ足のマッサージをしていると気持ちよさそうに寝ます,目を覚ますと「あんたも疲れるから,もう良ええは。」,「有難う。」と言います。
 私がテレビを観ていると家内は時々喋るのですが,眠っている時間が長くなり,時には鼾をかきます。この状態で目を開かなくなると,こん睡状態になるのですね。

 2月18日の再入院以来,私は毎日家内に逢いに来ています。37日連続になると,精神的にも肉体的にも限界が近く,特に今日は寝不足でしんどかったので15時に病室を出ました。帰り間際に,家内に「明日は出来るだけ早く来るわ。」と言うと,家内は「ありがとう。」と答えました。私は無意識に「頑張ってな。」と言うと,家内は「よう頑張らんわ。」と言いました。私は大失敗を犯しました。今のの家内に”何を頑張れと”言うのでしょうか。絶対に言えないのですが「これまでよく頑張った。もう,頑張らんでも良いんやで。」言ってあげたいのですが。
 帰路に,私が最後に言った言葉が気になって仕方がありませんでした。

 今日病院を早く出たのには理由があり,本当は早く帰って横になりたかったのですが区役所に寄りました。2月度の高額医療費控除で入院費は控除されていたのですが,PET-CT費用(29,180円)も控除して貰う手続きをしたかったのです。家内の治療費は”いくらかかっても支払ってやる”と決めていますが,やはり家計的には苦しく大阪市から援助が受けられるのであれば申請します。30分近く待たされて申請を行いましたが,係員からは「返金は審査に時間がかかり,半年から1年後ぐらいになります。」とのことでしたが,私が生きているうちにお願いしますよ。
 次は,スーパーに立ち寄り買い物を行いました。そして,自宅に帰ると疲労困憊で横になりたかったのですが,1月5日に,不要書類の廃棄用に購入したシュレッダーが停止しなくなり壊れたので新規購入がしたくなっていました。価格は忘れましたが,構造が簡単なので壊れることが無いだろうとコーナンで知らない販売元の製品(中国製)を購入したのが失敗でした。この日記で,現役時代も中国製の部品で痛い目にあい,絶対に信用してはならないのは支那製の製品であると言っていたのに,私は馬鹿ですね。韓国製の製品も似たような品質であり,お金持ちの方だけがこれらの製品を買ってください。直ぐに壊れて,買い替えが必要ですから。
 そこで,再びヤマダ電機まで自転車を走らせて,シュレッダー(アイリスオーヤマ)とついでに掃除機用のパックフィルター(これまで,家内が購入していたので私が買うのは初めてでした。)を購入して自宅到着は17時過ぎでした。もう,炊飯器をセットする体力が残っておらず,夕食まで寝ようと布団に横になりましたが疲れているのに神経が昂り出し寝られません。辛抱が出来なくなくなり精神を安定させるために”精神安定剤”のお世話になりました。気持ちを和らげるために薬中毒気味です。この日記が書けるのも””の効果です。

 夕食は買い置きの鍋焼きカレーうどんと本日購入したサラダ巻き(半分)で済ませました。
 それにしても,日に日に弱っていく家内と最後に喋りたい方は,残された日は無いので急いでください。
2015年3月25日(水) 転棟
 昨夜は精神的に非常に不安となり21時に”精神安定剤”を飲んでしまいました。そして,午前2時ぐらいに就寝したのですが,3回目のトイレに行った9時過ぎまで眠ることが出来て起床後も精神状態は安定(普通)状態でした。
 病院に行く前に昨日家内から頼まれた品物を探すために,入りたくない家内の部屋に入りました。家内の部屋はクローゼットや2竿の洋服箪笥に服が入りきらないので,3面にハンガーでぶら下げられており,ベッドの横にもたくさんの衣類が積まれています。(左の写真)
 家内の頼まれものを探すためにクローゼットの中を調べると,購入時の袋に入れられたままの洋服やズボン,肌着類も沢山出てきてそれらをベッドの上に置いたので,益々ゴミ屋敷状態になりました。
 衣類の購入数は相当なもので,数百万円はかかっていると思うのですが,これらは廃棄処分するしかないのでしょうね。
 近年,ADHD発達障害)と言う病気が取り立たされており,その症状の中に”衝動買いをしてしまう”,”片付けるのが苦手”と家内に該当する症状がありました。この病気は死に至る病気ではありませんが,家計破産にはつながります。その上に,家内は遊び好きアルコール中毒?も患っていたのです。

 昼前に家内から電話が入り,「11時に病室は18階に移ったで。」とのことでした。病室内の家内の荷物の移動は看護師が行ってくれたようですが,量が多くて大変だったでしょう。今日は12時過ぎに旭郵便局に寄り昨日区役所から家内宛てに送付されていた郵便物を受け取りました。私が昨日整形外科医院に行っている間に配達したようで,留守だったからです。この時期に区役所から送付される書き止めは”身体障害者用の市営交通無料パス”に決まっているのですが,もう家内には無用でしょう。しかし私は敢えて”このパスを使用してくれ”と家内の病院に持って行くことにしました。

 18階の緩和病棟の看護師受付到着は12:55でした。私の感情的には,この病棟は”癌で死期を待つ人の病棟”と考えており暗い・寂しいイメージしか持っていませんでした。看護師に病室まで案内して頂いたのですが,全室が個室で廊下には人通りがありません。ある個室が扉が少し開いていたので,自然に覗いてみると5人以上の家族がベッドを囲んでいるようで患者さんは・・・
 家内はベッドを起こしてベッドの上に座っていました。益々容態が悪くなり,酸素送給の管を鼻に入れられ,ベッドから立ち上がれず看護師の援助が無いとトイレにも行けない状態になっていました。折角,大阪城が見える南向きの個室を用意したのですが家内は景色を見ることもできず,テレビのリモコンも「重たい。」と言うほど体力はありません。
 今日も腫れた足をマッサージしてあげると気持ちよさそうに目をつぶります。このまま,目を開くことが無く”天国に召される”のではないかと思うときもあります。(その方が,家内は幸せではと思う自分も居ます。)30分以上マッサージをしていると,家内は「有難う。疲れたやろ。」,「もう良ええわ。」と言いますが,家内が気持ちよさそうなので私は「まだ大丈夫や。」と答えます。
 この病室にはソファーベッドが置かれており,24時間面会は自由で看護師から「ご家族の方が泊まり込むことも可能です。」と言われたのですが,残念ながら家族は私一人しかいませんから。この個室では,私は出来るだけ家内と居る時間を長くしたいのですが,体力的な問題(腰痛で長く座っていられない。泊まり込むとなると自宅でも眠れないのに病室では絶対に無理。眠られず寝不足になると,精神的に暗くなり耐えられなくなる。食事も買い食いは出来ない。)と家内と居る時間が長くなるほど愛しさが募り別れの時”の精神的落ち込みが大きくなり,それに耐える自信が無いのです。弱い私は,本当に”駄目な夫”ですね。
 この病棟では緩和治療しか行わないので家内は”麻薬投与”でじっとしていると,痛さは感じないそうです。現在であれば,ベッドで少し喋られるので家内に「個室に入っているのやから友達を呼んだら良えねん。」,「詩吟,フラダンス,シンクロ,プールと友達はぎょうさん居るやろ。」と言うと,家内は「そうやな。」,「電話が出来ればしてみるわ。」と答えました。個室には固定電話が置いてあるのですが,携帯電話の使用を認めてくれています。でも,友達を呼んで喋る体力があるかどうかですが,ここで”遊び好き”の家内の本領を見せて下さい。なにしろ,もう2度と逢えない人が多いのですから。

 15時半になったので家内に「また,明日来るわ。」,「今まで面会時間の関係上13時に来ていたが,明日からは出来るだけ早く来るわ。」,「でも,朝に弱いからな。」(家内も私が寝不足になると体調が悪くなるのを知っています。)と言うと,家内はか細い声で「有難う。」と言いました。本当に家内と共有できる時間短くなってきたと思うので,病院に居る時間を長くしたいと考えています。

 夕食は絹こし豆腐,ひじき,出し巻き玉子薄味昆布豆と豪華?4種のおかずでした。昨夜は辛い焼そばを食べたので,就寝時に気持ちが悪くなり大失敗でした。
 今日は寝不足ではなかったので,精神的に安定しており,いつもでは書けない内容を日記に書きました。体調の関係もあり精神的に落ち込んで,負のスパイラルで心が奈落の底に引き込まれた日には,精神安定剤を服用することで何とか日記を書いています。
2015年3月24日(火) 心の奥まで寒くて
 今日も7時前に目を覚ましてトイレに行ってから寝られない。とうとう8時前に朝食を摂り,11時まで眠ろうとしたが寝付けない。本当に不眠症は辛く,これにより肉体的にも精神的にも私を虐めます。酷い不眠症の原因は”精神的不安”が大きいのです。
 病院に出かけるまでの時間に今日も電話台を兼ねている物入れの2段目の引き出しの整理を行いました。(左の写真は整理途中の引き出しの中)引き出しの中には家内が買ってきた仕切り板が設けられており,その中にはコンクリート用の釘,フック,鋲,裁縫具,豆電球等の小物が多量に仕舞われていました。私は家事を全くしなかったので,家内が色々買って来て仕舞っていたのでしょう。
 CELINEの小さな箱が出てきたので,中を見てみると小銭入れが仕舞われており,その中には長野五輪の5000円,500円の記念硬貨と海外旅行が好きだった家内が持ち帰った外国の硬貨が入っていました。これが家内の”宝物”だったのかと思う,何故かしら悲しくて涙が出てきました遺品の整理をしているのではないのですが,引出しの片づけをするだけで家内を思い出してしまう弱い老人です。

 12時半に自宅を自転車で出ましたが,今日は非常に寒く(9℃)風もきつく,おまけに小雨まで降る最悪の日です。厚着で自宅を出たのですが,寒さで体がぶるぶる,心の奥まで風が吹き込み”今日は病院に行きたくない”(行くと益々心が落ち込んで苦しくなる。),”誰か代わって欲しい”と非常に弱気となりましたが,家内の方が辛いので頑張らないとと自転車を走らせました。
 12:58に病棟の面会受付を行い家内の病室に行くと,家内は昼食が終わったところでベッドの側の椅子に座っていました。家内は「食器を食堂に持って行ってくれる。」と言ったので,食堂までそれを運びましたが食事は殆ど手を付けていませんでした。食堂から病室に戻ると家内は「さっさと歩けて良えなあ。」と私に言いました。家内は病室内のトイレに行くのが精一杯で殆ど歩けなくなったのです。家内はベッドに寝ようとするのですが腹部の腫れが酷く痛がります。また,お腹に力が入らないので足をベッドまで上げられず,私が手助けすると痛がります。私には介護は無理です。やっと,ベッドに体を倒しても枕の位置調整や体の移動が困難な状態です。これが進むと,”寝たきり”になるのですね。家内の体は,腹部が異常に腫れており,足も異常に浮腫んでいます。足の浮腫みが酷いので,足の裏から水(液)が出るような状態なのです。少しでも足の浮腫みを退かそうと,今日も30分程度の足のマッサージを行うと家内は気持ちが良いのか眠り込むときがあります。**の痛さに対しては,麻酔投与で緩和していますが治療ではありません。
 また,家内は体力が無くなったので大きな声を出せなくなったのですが,口内炎が酷くなり喋る言葉も聞きづらくなってきました。(家内は私の「耳が悪いな」と言いますが。)
 このような家内を見ていると,可哀想でたまらず気持ちが非常に落ち込みます。家内の側にいて介護をして上げたいのですが,長時間椅子に座っていると持病の腰痛が酷くなり耐えられません。これが老老介護の現状で,精神的にも弱い私は14時半に病院を去りました。

 帰路でスーパーに立ち寄り15時過ぎに帰宅後に,炊飯器をセットして暫く横になりました。17時に整形外科医院に行くために自宅を出ました。今日も医院は患者で溢れており長い時間待たされて,腰痛が酷くなったようで19時半に帰宅しました。医院で待っている間も,心の中は真っ暗で嫌なことばかりが脳裏に浮かび,待たされるのが嫌いなイラチな性格も加わって爆発寸前でした。
 夕食は初めてスーパーで購入した焼きそば出し巻き玉子でしたが,焼きそば私には辛すぎで1/3も食べられませんでした。私には家内の作ってくれる焼きそばしか食べられないのです。
 今日は気温も低くて寒かったのですが,精神的に非常に落ち込んだ体調だったので”心の奥まで寒くて”仕方がありませんでした。いつになったら,私に精神的な安らぎ来るのでしょうか。
2015年3月23日(月) 延命治療・・・拒否!
 今日は15時過ぎに自宅を出る予定だったので,昼から自宅の整理を始めました。昨夜(昼間には,ゴミの量が多くて恥ずかしいので,夜に捨てることにしています。)もゴミ袋3個を台車に載せて1Fゴミ集配場に行ったのですが,今日も4個のゴミ袋の用意です。
 家内が占領していた居間左の画像で,洋酒入れのサイドテーブルや大きなステレオは物置になり埋まっています。大きなソファー1人用×2,二人掛け×1も物が沢山な物が置かれてソファーの形が見えません。これがゴミ屋敷たる所以です。)はあまりに酷く,片付ける勇気がありません。この様な状態になるまで,私は家内を放任していた訳でなく「片付けろ!」と叱っても,家内は「その内に。」と言って,酔っ払って寝てしまいます
 そこで,今日は電話台を兼ねている物入れ(幅80cm,奥行き50cmで6段の引き出し付)の上や引き出しの中を整理することにしました。上には籠に入れた飴類のお菓子やせんべ等が沢山置かれているので,全て捨てることにしました。次に引き出しの1段目を開けると,何年前から仕舞われているのか判らない色んなものが出てきました。私の現役時代の給与明細や,使用済みになった預金通帳,古いパスポート領収書類,その他判らない物があるので,内容を確認しながら廃棄する物,シュレッダーにかける物と仕分けしていると15時前になりました。
 会社を早期退社するまでの家計は全て家内に任しており,私は働くだけの人だったのですが,古い預金通帳を見て家内の経済観念の無さに呆れました。年収が1,200万円を超えた時もあり,二人暮らしの我が家では預金が増えていくはずだったのですが,何を購入したのか時々100万円も下ろしているのに驚きました。
 また,パスポートを見ると私の現役時代は殆ど毎年のようにハワイに遊びに行った記録がありました。流石に,私が会社を辞めてからは回数が減りましたが。
 新婚当時から現在に至るまでの家内の変身?内容は特別日記で【回顧録】として紹介します。

 今日は4時半から緩和医療科部長からの話があるので,3時半に家内の病室に行きました。家内は相変わらず寝たままでしたが,昨日預かった洗濯物や頼まれ物を渡し,浮腫んで歩けなくなった足のマッサージを行いました。
 4時半に看護師が呼びに来られ,家内を車椅子に乗せて面談室に行きました。先ず,医師より「自宅で緩和治療をされませんか。」の話があったのですが,私は「このような状態の家内を自宅で介護が出来ません。」,「毎日の点滴も大変だし。」と答えると,医師は「自宅で介護されるのなら,自宅の改造や介護ベッド等は介護保険で賄えます。」,「点滴も通いの看護師で対応できるし,介護士も通ってくれます。」と話されました。そして家内も「自宅ではトイレまで遠いし。」と言うと医師は「ポータブルトイレと言う手もあります。」と答えます。また家内は「部屋が狭くて介護用ベッドを置くスペースもありません。」(何しろゴミ屋敷ですから。),「そして,今の体調では自宅に帰る自信がありません。」と答えました。
 医師は先ず,自宅での緩和治療を勧めたいようですが,一般的に最後を迎えたい場所では54.6%と多くの人が自宅を望むからなのでしょう。(在宅看護を本人が希望する患者が9割も居たとの話もあります。)なお,ホスピスで最期を迎える患者さんは5%程度と少ないデータもあります。
 一般的な希望から考えると,家内も在宅看護を望んでいると思うのですが,私への負担を考えて”緩和病棟”に入る決断をしたのではと思うと,私自身の不甲斐性(46時中苦しむ家内を看ながら,看取る精神力や体力が無い。)さに情けないです。家内に申し訳ないです。一生悔いを残すかもしれません。(貧乏に人は辛いです。夫婦二人の家族でも経済的に裕福であれば,自宅に介護用の設備を整え専任の介護士に1日中介護して貰えば私の負担は減るのです。)
 医師は,「自宅看護を選ばれるか,緩和病棟に移るかはご本人の意思で判断してください。」と言うことで,家内は緩和病棟を選びました。

 次は治療方針の確認で医師より「緩和病棟では痛みを和らげる治療が主であり,積極的な延命治療は行いません。」,「従って,人工呼吸器などの設備もありませんが。」と話されました。これに対して私が答えるべきでは無いので家内の判断に任せると,家内は暫く黙っていましたが泣きそうな顔で「延命治療は結構です。」と答えました。即ち,”死への覚悟”は決めたと言うことになり,家内への哀れさがますます増しました。(どうしようもないと,私自身も理解できているのですが。)
 なお,この病院の緩和病棟にはすべて個室の病室が24床あり,内3室が40平方メートル特別個室(家内は「うちの家より広いわ。」と言っていました。),8室が普通個室,他は無料個室であり,普通個室は南向きで大阪城が望めるが,無料個室は北向きだけで設備は変わらないとのことでした。ただ,無料個室での入院期間は1カ月以内,普通個室では2~3カ月以内が基本とのことでした。
 私は家内にできるだけ明るい南向の普通個室(経済的理由)を勧めて,その部屋が空き次第(今週中)に移ることになりました。個室料金は大阪市内に住んでいるので8,400円/日と緩和ケアー医療費が加算されます。
 家内が看護師に連れられて病室に戻っていくのを確認後に医師に「消化器内科の部長より抗がん薬治療が出来なかったら,余命は最長3カ月と言われました。」,「もう,3カ月が経過しようとしているのですが,家内に残された余命はどの程度なのでしょうか?」と勇気を出して聞いてみました。(本当に聞くのが怖かったのです。)すると医師は「個人によって余命は判りません。」,「1週間毎で,奥さんを大切にしてあげてください。」と答えられました。
 
 家内は病室に戻ると,やはり”延命治療は行わない”と医師より直接言われたことで精神的に落ち込んでいました。私はいつもの様に「明日また来るから。」と言って,17:25に病院を出ました。18時過ぎに自宅につきましたが,私の精神状態はかなり悪いです。上記のように,家内の悪口を書くような心境になってきたのは,少しでも”家内との別れ”の辛さを緩和させるための私の卑怯な逃げなのでしょうか。(ご理解いただけるでしょうか?)
 夕食は,昨日家内に教えてもらった通り初めてフライパンでハムを焼いて千切りキャベツの上に置きマカロニサラダを添えたのと,水炊きで薄味にした肉じゃがで済ませました。
2015年3月22日(日) 悲しんだり,腹が立ったり
 今日は朝から天気が良く,相変わらずの寝不足であったが精神的には安定していた。11時過ぎに家内からメールが入り「ティシュを持って来て欲しい。」とのことでした。家内は最近戻すことが多く,多量のティッシュが必要になるのです。
 2Lの水と,洗濯物,ティッシュを自転車に積んで自宅を出て家内が入院している病棟到着は12:58でした。病室で家内はベッドに寝ており,昼食は「お粥を,スプーン3杯食べた。」と話しましたが,これでは体力が回復する訳がありません。(衰弱する一方です。)家内の足は腹部同様にパンパンに腫れているので乳液を塗ってマッサージをしながら,残された時間を惜しむが如く話をします。昨日,家内の友人に妊婦用のパジャマを購入して来て呉れる様に頼んだら,早速その日の内に阪急百貨店まで行って購入してくれたようです。パジャマの費用は払ったが,交通費(狭山から来て頂いた)を受け取らないので,「3000円のレインボーカードを買うてきて欲しい。」と家内は言いました。12月の発病以来初めて他の方のお世話になり感謝です。私には”妊婦用パジャマ”を購入することができません。
 また,昨日実家に帰った際に母が「**さん(家内の名前)の入院は長いな。あんたも大変やろ。」,「これ,少ないけどお見舞いや。」と言い,私に封筒を渡しました。母は少ない年金をやり繰りして生活しており,金銭的に余裕が無い(私が時々母の財布にお金を入れておいてあげる。)のを知っているので辞退したのですが,ヒツコク言うので母の好意を受けることにしました。
 今日は,その封筒を「母からのお見舞いや。」と言って渡すと,家内は「見舞金は1万円やろう。」と言って封を切ると3万円も入っていました。私は「2万円は返すわ。」と言うと,家内は「お金が無いから貰っておくわ。」と言って自分の財布に仕舞いこみました。おいおい。入院中にはお金を使われへんやろ・・・いくら買い物中毒の家内でも。
 家内は寝て私のマッサージを受けながら話をするのですが「喋るのもしんどい。」と言って,黙り込み目をつぶります。その哀れな姿を見ると,悲しくなってきます。その内に,喋ることもできなくなるのかと。

 30分ほどマッサージをして,私が家内の側にいると気になるようなので「明日は4時までに来るわ。」(4時半からから緩和病棟の説明がある。)と言って,14時過ぎに病院を出ました。そして,自宅への帰路にスーパーに立ち寄り買い物をして帰宅は15時前でした。(一人暮らしでも,色んなものを買うので生活費はかかります。)
 今日は精神的に安定しているので冷蔵庫の中の整理をすることにしました。先ずは野菜室からなのですが,干からびた野菜が沢山入っており全て捨てることにしました。その中には,何年前から入れられていたのか腐って汁が漏れている漬物期限切れの食品が沢山出てきました。その他の場所も,期限切れ食品が沢山出てきてすべてを捨てると冷蔵庫はガラガラになりました。でも,冷蔵庫内は漏れた汁で茶色に変色しており,こびり付いているので拭いても取れません。我が家の冷蔵庫までが”ゴミ箱”状態です。冷凍庫室は開ける気になれず,後日整理の予定です。
 次は台所の上の棚の整理を始めましたが,ここでも開封されていない調味料が期限切れになるまで放置されていたり,空瓶までもが沢山置かれていました。それだけならマシなのですが,10年以上前(消費期限からから判断して)から置かれていたので,その間に調理した油がこびり付いて瓶,ボトル,スポンジ,その他が張り付いており動かない状態です。せめて,半年いや1年に一度整理をしてくれていたらこのような状態にはならなかったはずです。もう,私には手に負えませんどうしょう!家内はこのような状態に,何も疑問(問題)を感じなかったのか?
 そして,ふと食卓の下を覗いてみると期限切れの食品が沢山出てきました。家内は,商品を購入して仕舞ったのを忘れて,また買い足したので量が多くなり,それも放置したままなのでこのような状態になっていたのです。私が家事を全くしないので,このような異常事態に気付かなかったのですが,家内の買い物中毒は重症でした。常々,我が家の1カ月の生活費は40万円以上である書いてきたのは,このようなことが原因でした。我が家は,侘しい年金生活者であると言う自覚が,家内には全く無く好き勝手にして先に逝ってしまうのですね。残された私が哀れで,腹が立って来ました

 夕食は昨日弟の家内から「栄養を摂らないと,痩せる一方や。」と言って,私にウナギのかば焼き(1/3)をくれたのでうな丼(タレは無し)として,昨日の残りの絹こし豆腐ひじきで済ませました。(一人でウナギを買うと2/3は捨てるので勿体ない。)夕食後に食器を洗っていると来客があり「奥さんから2月初めに頼まれていた下着を持って来ました。」とのことだったので,代金として12,500円を支払いました。高い下着なのでしょうが,現在は腹部が異常に腫れており使用できないはずです。従って,病院には持参しません。
 また,いつもは見ない家内のカード利用代金の請求書を見ると3月度は93,640円となっていました。(普通は15万円/月程度であり,食品や衣料費でした。) 2月18日から入院しているので,何に使ったのだろうと明細を見ると1月29日に5万円ほどの衣服を購入して3回払いの残り,12月29日の退院時に支払った入院費用の86,910円の3回払いの残り,PET-CTの費用29,180円,その他2月7日,14日の食料品費用が含まれていました。2月14日が家内の人生最後のカード利用になるのでしょうか。
 なお,カードを利用して支払う場合に分割にすると,利息が加算され入院費に対しては1,486円が利息でした。私は,家内の浪費が酷いので毎月銀行口座(カード代金引き落としも)の残高を確認して1カ月の消費金額を見ており,その金額が多すぎると「老後が大変やから,節約しろ!」と怒るので家内は無駄な利息を払ってまでも,カード利用料金を分割にして月の浪費を誤魔化していたのでした。
 なお,1月の衣類の購入や,今夜の高価な下着購入は”自分の余命を知らない”ので行ったのでしょう。もう,着られないのに!

 これまでの日記で,家内が可哀想(本当に可哀想です。)ばかり書いてきましたが,家内の買い物中毒と片付けるのが嫌いの現実もあります。そして,物凄く”遊び好き”でもありました。世間一般の主婦と比較すると,主婦失格者になるのでしょうね。良妻賢母ではないですね。私が仕事人間であったことと,家事に無頓着であったのも悪いのでしょうが。
2015年3月21日(土) 春分の日
 今日は3回目のトイレで9時前に起床して朝食を摂りました。しかし,体調が非常に悪く寒気がして吐き気と倦怠感でしんどいのです。家内の発病前から,年に数回このような体調の日があるのですが原因不明です。(糖尿病の薬の服用は昨日から止めているので”低血糖”ではないと思うが。)
 今日は家内の病院に行ってから,春の彼岸なので実家に帰ると弟に昨夜電話していたのですがこの体調では外出は不可能だと思いました。12時前まで横になっていましたが,家内のことが気になるので”無理をしてでも出かける”ことにしました。神経的な病ではないので効果があるかどうか判らないのですが,今日も”精神安定剤”を飲んでしまいました。そして,12:37のバスに乗り倦怠感に耐えながら病棟到着は13:10でした。家内はベッドに横になっていましたので,昨夜洗った洗濯物を棚の上にあげて,私が「バスタオル等を私が洗濯するとゴワゴワで固い。」,「昨日,エマールを買うてきたらと言ったので,購入したら今まで使用している洗剤と一緒やったで。」と話をすると「エマールは洗剤やん。ハミングやと言うたやろ。」と答えます。またもや,言った言わないの話ですが,私もメモ帳には”エマール”と書いてあるのに。
 その他,家内の足のマッサージをしながらおかずの話をしていると,家内の詩吟仲間の友人が病室に来られました。家内が友人に”私では購入できない特殊なパジャマ”を購入して欲しいとメールしたそうです。(家内の腹部の腫れが酷く,普通のパジャマでは苦しいのです。)私はその方が来られたのを機に14時に病院を去ることにして,家内に「また明日来るわ。」というと,その友人から「毎日ご苦労様です。お体に注意してください。」と言われました。家内はメールで友人たちと話をしているようです。(もう,家内は歩く体力が無くなり自力で車椅子に乗れないので院内の電話可能エリアまで移動できなくなりました。)

 私は病院近くの洋菓子店でお供え用の”焼き菓子”と弟家族へのお土産として”フルーツケーキ”を購入して実家に帰ることにしました。通常ならJR環状線,地下鉄,市バスと乗り継いで実家に帰るのですが今日は倦怠感が酷く環状線の最寄の駅からタクシーで帰りました。
 父が祭られた仏壇にお供えをして,亡き父に”少しでも家内の苦痛を緩和して,楽に長生きさせてください”といつもお願いするのですが,私の希望を聞いてくれません。おやじ!頼むわ!
 母からはLIFEでの買い物を頼まれたので,ついでにハミング,ガラスクリーナ,便座カバーそしてひじきと食パンを購入していると自分自身が情けなく,悲しくなってきました。(何故でしょう。)実家には弟の息子の嫁が子供を連れて遊びに来ていました。彼女の父親も癌で亡くしており,某大学病院に入院していたが我が家と同様に末期症状で治療が出来なくなり,退院勧告をされて自宅で看護することにしたそうだ。しかし,看護用ベッドや介護士の援助を得たが自宅看護2日間で父親が痛さに耐えられなくなり,もとの病院に縁故(その病院関係者が親戚)で再入院して亡くなられたそうでした。その病院は大阪府の外れにあるので,近くに部屋を借りて介護した家族は3名居たそうですが,3名とも介護疲れで大変だったと話しました。私は場合は,介護者たった一人の私だけなので,私の体が心配になってきました。私も大阪府と京都府に大学病院関係者の従兄弟が要るのですが,自宅からの通院が非常に不便なので大阪市内の病院を選びました。なお,現在の病院にも親戚の方(医師)が居られるので・・・・私は現役時代から”縁故”で何かを依頼することが嫌いだったのですが,家内のことになると話は別です。

 弟の嫁から夕食を誘われたのですが,私は暗くなってから誰も居ない寂しい自宅帰るのが嫌なので辞退しました。すると,串カツを揚げて呉れるとのことで,豚,玉ねぎ,こんにゃくをお願いしました。それを貰って,自宅到着は18時前でした。
 夕食は揚げてもらった串カツ,絹こし豆腐薄味昆布豆の3種のおかずで済ませました。そして,入浴する気力・体力が無いので布団に入り込みました。
2015年3月20日(金) 万策尽きて
 昨日は11時過ぎの病院からの呼び出しで弱い私は悪い方ばかり考えるので,精神状態が耐えられなくなって”精神安定剤”を飲んでしまいました。そして,17時過ぎに自宅を出て地下鉄に乗って病院に行きました。(自転車で行く気力が無く,バスは夕方の交通渋滞に巻き込まれるので所要時間が判らない。)17:45に16Fの看護師詰所に行き,家内に見つからないようにこそっと「**の家族の者ですが。++先生に呼ばれましたので。」と伝えると,詰所奥の部屋に通されました。
 暫くすると,消化器内科部長が来られ家内の病状についての説明です。部長より「これまで,ステント挿入手術や腹水を抜く処理を行ってきましたが効果が無く,もう治療の方法がありません。」,「腫瘍があまりに大きくなりすぎて腹部が腫れるのです。」,「症状が改善しないので抗がん剤治療もできず消化器内科ではこれ以上の治療が不可能です。」,「自宅での介護を行い,通院治療(痛み緩和)をされたらいかがですか。」と最後通告をされました。(このような治療方針は大病院では普通にあるようで,大きな病院は治療が目的なので治る可能性のない患者には退院や転院を促すようです。特に大阪市立病院では橋下市長の方針老人や病人を虐めるのは,今更ではないと思います。5月の住民投票では・・・良識のある判断が必要です。特に大学病院は注意です。)しかし,現在の家内は食事が殆ど食べられないので栄養は点滴に頼っており,尿が出ない(泌尿器科も診察して貰った)ので利尿剤の点滴も行っています。そして,歩くのも不便になり食事はベッドまで運ばれています。(歩ける人は食堂まで自力で行く。)

 積極的治療は行わず緩和治療を投薬(麻薬の量も入院前より増えています。)で行うような方針であり,現在のような家内を自宅に連れて帰っても介護する人は私しかいません。そこで私は部長に「我が家は子供が居らず,夫婦二人で住んでいます。」,「従って介護は私が行うことになるのですが,私も腎不全でこの病院に通っており体力がありません。」,「せめて子供が居れば頼れるのですが,我が家での介護は無理です。」と泣き言を言いました。
 このことは真実であり,私は肉体的・精神的にへばっており体重も12月末から8kg以上減っています。また,腎不全なので好き勝手な買い食いが出来ず,自分の食事も儘ならないのに家内の食事まで面倒は見られません。また,いつ問題(倒れる,動けなくなる,苦痛で苦しむ)が起こるか判らない家内と46時中一緒に暮していれば気の抜ける時間が無く共倒れになりそうです。2013年7月(日記)で叔母さんに先立たれた叔父さんは,最後まで叔母さんを自宅で介護されたそうです。(介護士を雇って食事や日常性格の援助を受けたそうですが,叔父さん自らが下の世話までしたとのことです。)叔父さんと叔母さんは二人り暮らしで大きな家に住んでおり,介護が出来るように家を改造したりと医療費などを含めて多くのお金が必要だったと言われていました。因みに,その叔母さんも買い物付きで,亡くなった後に叔父さんが衣類の整理をしていたら袖を通したことのない多量衣類が出てきて1.5年経過しても捨てるに捨てられないと困っていました。
 家内も不甲斐ない(甲斐性の無い)私と結婚したために自宅での介護がしてもらえないのですね。今度生まれ変わったら,私のような人間では無く何でも出来る・お金持ちの男性(治療も介護もお金次第です。ブログでお金持ちを自慢しているXさんは,さぞかし立派な介護をするのでしょうね。何しろ,“他人の不幸は蜜の味”と喜んだ人ですから。)と結婚してください。
 私は,生まれ変わっても家内と結婚するするでしょう。(40年間の結婚生活で色んな不満点がありましたが,そのことは逐次家内の【回顧録】として紹介します。)でも次回は,子供を作り,絶対に私より先に逝かないと言う条件付きです。家内に先立たれた夫は非常に辛いですから

 内科部長は私の思いをくみ取っていただき「旦那さんも,奥さんも頑張られていますね。」と慰められた時に私は我慢出来なくなり涙が自然に落ちました。そして,医師は「奥さんをホスピスに移って貰いましょうか。」との提案が出ましたが,私の印象では”ホスピス”とは癌治療を拒絶した人やもう癌治療の手段が無いなった人(家内はこれに該当)が余命を全うするがための場所(死ぬのを待つ場所)だと暗い感じしか持っていないのです。(世間一般の人もこのような認識ではないでしょうか)そのようなホスピスへの移動を,余命を知らせていない家内にどのように説明すればよいのか判りませ。家内は,病は治らないと自覚しているようですが,自宅に帰られるように辛い治療に耐えているのです。
 そこで私は部長に「現在の家内は4人部屋に入っておりトイレの問題で悩んでいます。個室への転室をお願いしたのですが2~3週間後にしか空かないそうです。」,「そこで,トイレの問題を解消するためにはホスピスの個室に入ることしか方法は無い。」と家内に説明して貰えませんか。なお,「ホスピスと言う言葉は使わずに”緩和病棟”への転室と言って欲しい。」と付け加えました。

 部長との話が付き,家内が車椅子に乗せられて詰所奥の部屋に連れて来られました。その時,私も今来たばかりだと言う芝居をしました。
 部長は家内に,これまでの治療内容を説明(私への説明はズバリ真実を伝えますが,家内には優しく説明します。)して「今後は”緩和治療”を行いたい。」と話しました。そして,消化器内科病棟では「トイレ付の個室の空きが無いので,緩和病棟の個室に移られたらどうですか。」と私の依頼通り話してくれました。更に部長は「緩和病棟に入っても,一時帰宅される患者さんも居られるし,退院できるまで回復される患者さんも居られます。」と付け加えてくれました。(この話は家内を安心させるための”善意の嘘”(病状が良くなるはずがない)と私は判断して,”やはり医師はすごい”と感謝です。その他,医師より家内にいろんな話をして頂ただいたので家内も緩和病棟への移動を渋々了承しました。(私も,医師も嘘つきなのです。)
 緩和病棟への転室に関しては,後日に担当医から話があるとのことで,この日の部長からの説明が終わりました。
 私は家内の車椅子を押して病室まで帰り,暫く家内と「緩和病棟に行く以外個室にすぐ入れる方法は無いな。」等を話して病室を去りました。因みに大阪市立総合医療センターは地域のがん診療連携拠点病院なのです。

 私は延命治療に微かな希望を持っていたのですが,医師より”万策尽きた”との話を聞き,20時前に非常に暗い気持ちで寂しい自宅に戻りました。精神的に非常に辛く,本日2回目の”精神安定剤”を飲んで何とか食事ができる精神状態になりました。
 しかし,食欲が全く失せてしまい夕食は買置いている”鍋焼き天ぷらうどん”で済ませました。そして,気力で風呂に入り,その後家内の洗濯物を洗濯して干しました。


 今朝も2回目のトイレに5半頃行ってから昨夜の記憶が思い出され眠ることが出来なくなりました。正味4時間も寝ていないので完全な寝不足だったのですが6時に起床して朝食を摂りました。その後,9時ぐらいまで布団の中でテレビを観ていたら,いつしか眠ってしまい目覚めたのは11時過ぎでした。
 昼食後に,いつもの様に家内の病棟到着は13:00でした。家内はベッドの上で寝ており,「昼食が全く食べられない。」と言ったのですが,暫くすると”おえっ!”と言う声と共に戻し始めました。緑色状の液体状の吐しゃ物だったので,慌ててティッシュを上げましたがベッドや床を汚しました。私は,吐しゃ物を拭きながら”このような状態の家内を自宅へは絶対に連れて帰れない”と思いました。16日の手術は,このような嘔吐を抑制するための手術だったのに効果が認められません。14時半過ぎまで家内と病室で話をして,洗濯物を持って病院を出ました。

 帰路にスーパーに立ち寄り夕食のおかずやパンを購入して自宅に帰ったのは16時前です。直ぐに炊飯器をセットして,疲れたので暫く布団に横になります。(本当に体力が無くなりました。)17時になったので,腰の治療のために整形外科医院に出かけました。しかし,この医院の患者数はますます増えているようで,1時間以上待たされて腰に注射を行い,首の牽引と腰を温めて次のマッサージ待ちが20分と言うことで,待つ気が無くなり19:30に帰宅しました。患者は私以上の老人ばかりで,益々高齢化が進みます。2025年問題が騒がれていますが,この問題から日本を立ち直らせるには”人生定年制”と”安楽死法案”を成立させればよいのです。私の様に,老後の人生で”なぜ生きるのか”の答えを出せた頭の良い人安楽死を選択するでしょう。腎不全で好きな物が食べられず,腰痛で体が思うように動かず,孤独感から寂しくて仕方のない人の選択肢として・・・
 夕食は夕方購入したコロッケ豆腐バーガーかぼちゃの煮物で済ませ,その後に洗濯をして忙しい1日の終わりでした。
2015年3月19日(木) 呼び出し!
 昨夜は午前1時過ぎに就寝で,今日も6時前に2回目のトイレに行ってから目が冴えて寝付けません。そして,何かしら”胸騒ぎ”がして朝から神経は高ぶっていました。
 それでも,9時前に起床して朝食を摂り,テレビを観ていると11:16に家内からメールが入り「今日は++先生が,お話があるので6時ごろ来てくださいとのことです。お願いしますね。」とのことでした。そのメールを読んいる間に病院(総合医療センター)の看護師から電話が入り,「18時から++先生がお話したいことがあるとのことです。」,「奥さんの病室に行かれる前にお話ししたいそうで看護師詰所に声をかけてください。」,「その後,奥さんを交えての話があるそうです。」との話です。
 携帯の着信で”病院”からだと判った瞬間に,何か大事が起っていると私の心臓の鼓動は高まりました。電話を切った後で,何の話かといつもの様に色々と考えて不安感が高まりました。月曜日の手術結果も思わしくなく,日に日に容態が悪くなる家内の様子を目の当たりにしていると,暗い思考しかできません。
 家内が立ち会わないで,医師と私が二人で話したのは12月26日の家内の”余命宣告”の時だけなので,今回の医師からの話は・・・その時に医師から言われた余命は「抗がん剤治療の効果が無いと,余命は最長**ヶ月です。」と非常なショックな内容だったのですが,間もなくその**ヶ月が来ようとしているのです。家内の抗がん剤治療は1月に4週間行っただけで,それ以降は他の病気が発病して治療できていません。

 これらの経緯(日記に細かく書いているために間違いありません。)を考慮すると,医師からの話はどの様な話かは想像できます。2月に2回目の入院以来,約1カ月が経過して毎日の病院通いや不安感から私の体調(体力・精神力)は限界に近付いているようです。今日の医師からの話を冷静に受け止めて,判断できるか自信が無くなってきました。(体調も眠れないので最悪です。)
 でも,対応できるのは私しかいないので18時前に病院に必ず行きます。
 医師との話の内容によっては,精神的にこの日記を毎日続けていけるかどうか判りません。  今日は1日の半分程度しか終わっていない時間で日記を終わります。
2015年3月18日(水) 募る寂しさ
 今日も6時過ぎにトイレで目覚めてしまい,その後9時過ぎまでウトウトしていました。そして,起床して朝食を摂りましたが体調は昨日ほど悪くありません。この年齢になると,すっきり目覚めの気分爽快とは絶対になりません。特に,現在は寝ても起きても”孤独感”から来る寂しさが心の中にあり精神状態は暗いです。

 今日も暖かい日で,今年初めての軽装で自転車に乗り家内の病棟到着は13:02です。昨日の私は”疲れた顔”をして家内と逢ったので,今日は空元気な顔で病室に入りました。家内は手術の効果も無いようで,容態は酷くなってきています。(書けない!)色々家内と話していると,今一番困っているのがトイレのことで,現在4人部屋で1ヵ所のトイレがあるのだが一人で自由に使用できないとのことでした。トイレの話をしながら,家内は泣き顔になるのです。あれほど,物事に動じない家内をすっかり弱気にさせてしまう**残酷非道です。
 その解決策は,”家内をトイレ付に個室”に移らせることなので,看護師に「個室に移りたい。」と話をしました。すると,婦長が来られて「個室にはVIP個室1室と普通のトイレ付個室2室があり,室料は約3万円と約2万円となっている。」と話されたので,我が家の経済状態では”普通のトイレ付個室”が限界と考え「普通のトイレ付個室に移れますか。」と話をしました。(病気が治るのなら,5万円の個室にでも移しますが。)
 しかし,婦長より「個室3室共に患者が入っており,普通の個室でも2~3週間先じゃないと空かない。」との話でした。家内は「我慢する。」と言ったので,取りあえず「空いたら移りたい。」旨を伝えましたが,それまで家内が・・・・他にトイレ無しの個室もありそうなので,最悪簡易トイレを使用しての移動も考えないと。

 今日は病院にMさんに来ていただいたので,1.5時間ほどコーヒを飲みながら話をさせて頂きました。現在の私の話し相手は,家内しか居らず,家内と話をする場合には”言葉を選んで”話をします。家内の体調を聞くか,買い物や料理の仕方についての話が主で,「梅が咲いているで」,「桜はつぼみが膨らんだで」等家内が羨ましくなるような話は絶対にしません。また,家内は私に”泣き言”を言うのですが,私にはそれを家内には言えないのです。今日はMさんに色々話を聞いて頂け有難うございました。
 15時半過ぎに家内の病室の戻ると,詩吟関係の来客2名が来られ家内は談話室で話をしていました。長時間の話は家内が疲れるのですが楽しそうに話をしていたので,私は「明日も来るから。」と病院を去りました。

 病院を出ると,18時ぐらいから雨が降ると予想していたのですが16時前から雨が降り出しており,濡れながら自宅まで自転車を走らせました。結局,今日は雨なのでスーパーに立ち寄ることが出来ず夕食は昨日炊いた”お粥”に以前から残っていたイワシの銚子煮,絹こし豆腐(カツオを振りかけて),薄味昆布豆の3種のおかずでした。
 侘しい夕食を,テレビの前に一人で座って食べていると全く楽しくありません。私に寂しさが募る原因は”孤独感”なのです。人間はそもそも”孤独”であることが宿命だと判っており,いくら家族や友人が居たとしても,最後は一人で旅立って行かねばならないのです。家内の旅立ちもさほど遠くはありませんが,私の孤独になる時間が出来るだけ短くなるように家内は頑張ってくれていると思いたいです。
2015年3月17日(火) 季節も狂って!
 昨夜は午前1時過ぎに寝て今日も6時過ぎにトイレに行き,それで目覚めてしまい熟睡できません。しかも,真冬と同じ掛布団で寝ているのですが,寒くて暖房を入れました。(午前6時の外気温は8℃であり,さほど寒くはありません。)布団から出て,朝食を摂る気になったのは9時前です。今日は精神的に安定しているものの寒気がして体が非常に怠いのです。
 それでも,薬を貰うために10:30に自転車で内科医院に向かいました。気温は12℃を越えているのですが,寒く感じます。何か異常が?と思ったのですが,医師より「体調はどうですか?」と聞かれたので,「以前と変わりなく良くありません。」と私が答えると,「変わりがないと言うことは,悪くなっていないと言うことですね。」と言われました。
 本当の私は,肉体的にも精神的にも疲れ切っているのですが,街の内科の医師に理由を言っても仕方がないの黙っていました。家内が通っていた診療所で,家内が異常を訴えているのに医師がもっと早く病気を発見してくれていたらと,街の内科の医師に非常な不信感を持っています。大病院は患者を減らすために街の”かかりつけ医”を持って,街医者で手が負えなくなったら”紹介状を持って来なさい”と言う方針なので,大病院に行くと重症になっている場合が多いのです。家内が入院している病院も,”重症患者専用病院”とも言われています。

 11:30に内科医院から自宅に戻り,昼食を摂りましたが体調は益々悪くなり気持ちが悪いのです。昨年,5月初めに救急車で運ばれた時の体調に似ていますしたが,もっと重症の家内が病院で私を待っていると思うと出かけねばなりません。12:30に迷ったのですが自転車(体力が要るが)で病院に行くことにして自宅を出ました。この時の気温は18℃を越えており,季節外れの暖かさです。この様に気温変化が大きいと,私の体調は異常になりやすいのです。(過去の日記でも,季節の変わり目に体調を崩します。)病院到着は12:55でエレベータで家内の病棟である16Fに向かいます。エレベータは満員状態で,16Fまで各階に止まったので人いきれも加わり私の体調は悪くなり座り込みたくなる状態です。
 面会受付を行い,病室に行くと家内はベッドに座っていました。探し物をしていたようで,家内は私に「昨日は来てくれたん。」と聞きました。やはり麻酔が効いており私が来ていたのを知らなかったようです。そして家内は,私に「このスエット(LLサイズの下)はゴムが3本入っているのできつくて履かれへん。持って帰って。」といいました。このスエットは13日に苦労してトレーナーと交換して貰った商品であり,いとも簡単に言うのでベッドの横の椅子に座り込んでいた私はガッカリして「判った。持って帰って捨てるわ。」と答えました。
 すると家内は「捨てやんでもええやん。あんたが着たら。」と言いました。そして,探し物をしていた家内は衣類をベッドの上にぶちまけており,病院でも我が家同様に”ゴミ屋敷”状態になりかけているのを見て,私は情けなくなり(これも家内の病気です。腹が立つより可哀想に思えるのです。)頭を抱え込みました。今日の私の体調は非常に悪いので,家内は私の顔を見て「しんどいの?」,「毎日病院に来てもらってるから疲れてんねやろ。」と心配して聞くので,私は「気温が急に高くなると,いつもの様に体調が悪くなるんや。」と強気で答えましたが・・・
 ベッドの上に置かれた衣類を整理してあげると,家内の探し物(13日に「2組も買うてきて,どうするんや。」と怒られたショーツも行方不明だった。)が出てきました。家内から,頼まれるままに自宅から色んな衣類を持参したり,購入したりしていたので量が多くなりすぎたのです。そこで,本日着替える衣類,新しい下着,洗濯済みの衣類,そして不要となった衣類(腹部の腫れが酷くなり着られなくなったのです・・・可哀想に!)に整理しました。
 家内は「下(5F)のコンビニでLLサイズのパジャマを買うてきてくれへん。」と言ったので,私はコンビニに向かいましたが16Fにエレベータが上がってくる間も立っているのが辛く,近くの椅子に座り込む体調です。コンビニではLLサイズのパジャマは置いていなく,家内に「LIFEで買うて来ようか」。と言うと,家内は「もう良えわ。2組あるので代わり番こ着るわ。」と答えました。私は毎日病院に通い,家内の洗濯物は直ぐに洗って上げていますから。それなら,何故「スエットが欲しい」と言ったのでしょうか。これも買い物中毒の表れ?

 14時前から家内が輸血をするとのことで看護師が来たので私は談話室に行きました。談話室で座っていると,私より歳を取っていると思われる老夫婦の会話が聞こえてきました。旦那さんが入院中(重症だと思う)で,見舞いに来られている奥さんが「看護している私が一番つらいんやで。」とこぼしており,「入院してくれている間が一番楽やねん。」と言っていました。すると旦那さんが,「いろいろ考えても成るようにしか成らんのや。」,「お前のように,あれやこれやと先々を考え過ぎてもしょうないやろ。」と強気な発言(本心か?)をしていました。奥さんの立場は私と似ており,先々のことを考える性格は辛いですねと同情です。先の短い人を看護する人と,体は元気なのですが動けなくなった人,呆けた人を看護する人とではどちらが辛いのでしょうか。

 14時半になったので家内の病室に戻ると,未だ輸血の最中でした。4回の手術,2回の輸血,毎日の多量の投薬で命を長らえている家内を見ると”哀れ”で仕方がありません。家内はかなり昔から薬を飲むときには体に良いからと”月のしずく”と言う2Lで千円もする水を使用しており,1日1Lが必要となります。その水の自宅での在庫が切れた旨を家内に言うと「もう普通のミネラルウオーターで良えわ。富士山のバナジュウウム天然水(2Lで200円程)買うてきて。」と言いました。高価な水を飲んでいても,病には効果が無いと判ったようです。
 私は「明日も来るから。」と言うと,「毎日済みません。早よ帰って休んで。」と言いました。私に,怒って文句ばかり言う家内の方が,私は精神的に楽なのですが”済みません”と弱弱しく謝られると,”絶対に明日も会いに来るぞ”と自分を鼓舞してしまうのです。

 厚着をして病院に来たので,帰路はそれが暑く”非常にしんどい”ので事故を起こさないようにゆっくり自転車を走らせ自宅に向かいました。しかし,今夜のおかずが無いのと家内から頼まれた水を買うためにスーパーに立ち寄り自宅到着は16時前になっていました。早く布団で横になりたかったのですが,取りあえず体力維持のために炊飯器で”お粥”の予約をしました。(炊飯器で自分で炊くようになると,チンご飯やお粥は購入できません。)
 布団に横になっても,体はしんどいのに寝付けず,今日は安定していた神経が徐々に高ぶり,このままでは夕食も摂れず風呂にも入れないと”精神安定剤”を飲んでしまいました。この様な体調の時期には,今まで夕食の用意をしてくれていた家内の有難さが身に染みて判ります。寂しい!怖い!私は体調が悪いと直ぐに寝込んでしまうの,そのような時には家内が”お粥”を炊いてくれたのでした。
 今夜の夕食はお粥に,今日購入してきたアジの刺身絹こし豆腐(カツオを振りかけて),以前購入した薄味昆布豆の3種のおかずでした。因みに,病院から持って帰った家内用のスエットを着てみると上はLサイズなのですが腕や丈が短いものの着ることができ,下は少しきついのですが女性用のLLサイズも履くことが出来ます。しかし,女性用は小用時に不便で履きませんが。現在,男性用のLLサイズパジャマを着ていますが,痩せてきてブカブカになっています。女性用のパジャマが着られるようになろうとは・・・
2015年3月16日(月) しまった!
 今日は家内の手術日であり気力体力を蓄えておきたい日でした。それでも,不眠症は相変わらずで8時過ぎに目覚めてしまい,その後はウトウトです。9時過ぎに朝食を摂っていると家内からメールが入り,「手術開始時間は早くならないそうで,3時以降みたいです。はっきりしません。」との事だったので,予定通り16時までには病院に行こうと考えました。
 そこで,尿酸やコレステロール値を下げる薬が切れているので午前中に近所の内科医院に行こうと思っていたのですが,眠くて布団から出られずウトウトとしていたので起床できたのは12時を過ぎていました。熟睡は出来なかったのですが長時間横になっていたので精神状態は安定した日でした。(不安感が昂るのは寝不足で体調が良くない日です。)

 15時に家を出て,帰宅できる時間が不明のためバスで病院まで行き,病棟到着は15:40でした。面会受付を済ませて家内の病室に行くと,家内のベッドは高くセットされておりストレッチャーで運ばれたようでした。しまった!遅かったのかと看護師詰所に行き聞いてみると「奥さんは,30分ほど前に手術室に運ばれました。談話室で待っていてください。」と言われました。
 16:20に談話室で待っている私に看護師が「奥さんが戻られました。」と声をかけて頂き,ストレッチャーに乗せられた家内と病室に戻りました。看護師に聞くと,手術は無事終了したそうなので,家内が目を覚ますのを談話室で待つことにしました。30分毎に家内の病室行きますが,麻酔から覚めておらず今回は家内の体力が無くなっているので鼻から酸素が送られていました。18時過ぎに病室に行き家内に声をかけると目を開けたので,「詩吟連盟からの手紙を持って来たで。」,「明日,いつもの時間に来るからな。」と言うと,家内は頷いたのですが多分私が言った言葉を覚えていないでしょう。(前回手術時には覚醒に5時間以上かかりました。)

 18:20に病院を出て自宅到着は19時前でした。今日は夕食の準備もする気になれず,非常用のインスタントカレーとポテトサラダ,わかめスープで夕食を済ませました。
 今日の手術で,家内は少しでも沢山食事ができるようになるのでしょうか。
2015年3月15日(日) ”鬱”な日
 今朝も朝6時過ぎから眠れず寝不足で体調が悪いのです。寝不足で体調が悪いと精神的に不安定となり何もする気力がなくなります。12月以前も気力がなくなり,”何もする気がしない”精神状態になり家に籠ることがあったのですが,家内の**発見以来は不安感が加算され気力の低減だけでなく精神医学的に””状態に陥ります。
 通常,起床直後は精神状態が安定しているのですが,今日は朝から重い気分で何もする気が起りませんでした。

 それでも,今日も家内に逢いたくて病院に出かけることにしました。12:30に自転車で病院に向かい病棟到着は12:57でした。病室に家内が居なかったので,食堂を覗くと一人でポツンと座っていました。全く食事を受け付けず,卵スープを半分飲んだだけでした。暫くすると,詩吟仲間2名が家内の見舞いに来られたので私は談話室の方に移動しました。家内は長時間椅子に座っていると足が浮腫んで歩けなくなるので13:30になったら見舞客に帰って貰おうと考えていました。すると,13:30前に家内が断ったようで見舞客が帰られることになりました。見舞客は帰り際に,家内が食事を摂れずにげっそり痩せた姿を見たので「あれほど食べたり飲んだりするのが好きやったから,早く治して食事に行こう。」と家内を励ましてくれました。私は心の中で”もう,無理や”と答えていました。
 
 家内を病室に連れて帰り,ベッドで横になった家内の浮腫んだ足を10分程度マッサージすると浮腫みが少しましになりました。病院にマッサージ師が居たら依頼するのですが。私は寝不足で体調が悪いので14時前に病室を出ることにしました。家内の明日の手術は16時ぐらいからの予定なので「明日は4時までには病院に来るわ。」,「もし時間が早まったらメールでもして。」と言うと,家内は「明日もお願いします。」,「気を付けて帰って。」と弱弱しく返事し手を振りました。今日いろんな話をしていても,手術に対して恐怖があるので家内は気弱になっていました。

 病院からの帰路にスーパーに立ち寄りましたが,余り買いたいものがありません。15時前に自宅に帰り,布団に入る前に取りあえず炊飯器に米を仕掛けました。炊飯器をセットして布団に横になると,睡眠不足でうとうとしますが精神状態は益々落ち込んで来て雪崩現象(アバランシェ現象)的に不安感が増幅されます。この様な精神状態のままなら,夕食も摂れず,風呂にも入られないので”精神安定剤”を飲んでしまいました。この薬の効果は15分ぐらいで出てきて,布団の中で寒くて丸まっていたのですが体がほこほこしてきて,精神が安定してきます。思考能力が低くなって来る効果(知らんけど,ドラッグと一緒?)がありそうですが,認知症にもなりそうです。

 薬の効果で何とか19時前に布団を出ることが出来て夕食の用意ですが,気力がありません。夕食は今日スーパーで購入した酢豚(レンジでチン)とイワシの銚子煮だけで食べました。酢豚は家内の得意料理のひとつで,私の体調に合わせた味付けをしてくれていました。それが,もう頂けないとは・・・・生涯独身の方には,このような温かい家庭料理を知らないので理解できないでしょうが,妻帯者の方は”奥さんの有難さ”に感謝してください。一瞬先は闇ですから

 明日は家内の手術があり,手術前から家内が麻酔から覚めるまで病院に居るつもりなので長時間の滞在となりそうです。このところ,腰痛が酷くなり長時間椅子に座っているのが辛く,精神的にも参っているので耐えられるでしょうか。
2015年3月14日(土) 一晩寝ると
 今日はマンションの月1回の古紙・衣類の収集日です。新聞の折り込み広告が多すぎて,1カ月も貯めておくと相当に重くなります。新聞紙は3月5日に止めたので配達されていませんから,全部廃棄してしまうと困ると思い少し残しました。古着は家内のいない間に私が着なくなった上着,痩せすぎてはけなくなったズボン,その他をポリ袋一杯に詰めました。(家内の分なら,何個のポリ袋になるのでしょう?)その他,段ボール箱とアルミ空き缶を集めて一緒に台車に乗せ1Fのエレベータホール横に集めました。
 最近の私は,時間があり精神的に余裕があれば台所,小物入れの棚,押し入れの中など片付けて不用品(殆ど)をポリ袋に入れて,ゴミ集積場まで台車で運びます。(大物?の居間や家内の部屋は片付けられません。)精神的余裕が要るのは,廃棄しようとする物は,何十年も前に家内が購入してきて仕舞い込んだものであり,封も切らずに何千円の値札が付いたままのものもあり,家内のことを思い出して悲しくなるのです。それにしても,家内は本当に買い物中毒で”これだけ多くの商品”を買い込んだものです。
 古紙・衣類の廃棄が終わると,昨日家内から預かってきた衣類(風呂に入ったそうで,パジャマなど沢山ありました。)と私の衣類を洗濯です。このところ,洗濯は2日に1回の私の仕事です。

 今日も自転車で病院に向かい,病棟到着は13:00でした。家内は食堂に居るのかなと覗いてみたが居ないので,病室に行くとベッドに寝ていました。長時間座ると足の浮腫みが酷く辛いので,食堂に長居はしなかったそうです。今日は家内から頼まれた”爪切り”を持参したのですが,腹部の腫れが酷く自分で足の爪が切れないとのこと私が切って上げることにしました。家内の足を見ると浮腫みが酷く,マッサージをすると多少ましになるとのことで爪を切る前にマッサージを行ってあげました。(明日からも,してあげよう!)
 家内と暫く家事に付いて喋り,その後30分ほど談話室で読書して14:30に病室の家内に「明日も来たいけど,疲れているので良う来いへんかも判らん。」,「来られへんだらメールするわ。」と言うと,家内は「無理せんといてな。」と言いました。

 自宅への帰路でスーパーに立ち寄りおかずおやつの購入です。でも,本当におかずの購入は悩みます。食べてみたい食材はあるのですが,腎不全の私には食することができません。今日は珍しくホウレンソウを購入しました。今日,家内から湯がき方を教えてもらったので,湯がいて鰹節を乗せて,ポン酢をかけて食べるつもりです。でも,料理するかは気分次第です。

 夕食は久しぶりに食べるハムカツ(量が多すぎたので1/3を捨てました。),千切り大根薄味昆布豆の3種のおかずでした。
 私の精神状態は日により,時間帯により変化します。家内の症状が悪くなったり,医師から説明を受けたりすると”家内が可哀想だ”と言う気持ちが強くなり精神が狂い始めます。これを収めるには,精神安定剤の服用が必要となるのです。そして,就寝時は精神安定の効果もある睡眠導入剤の服用で眠りに就くのです。そして,翌朝起床すると精神は安定しており,不安はリセットされています。(もし,精神状態がリセットされずに苦しいままなら私は廃人になっています。)子供の頃から,怪我をしても,しんどかっても”一晩寝たら治る”性格でしたから,思い込みの激しい私でも人間を続けて来られたのでしょう。因みに,今日は安定日でした。(日記のタイトル色は””ですから。)
2015年3月13日(金) 2往復
 今日は12:20に自転車で家を出て病院到着は12:45分でした。入院患者にも月1回の”健康保健証の確認”が必要とのことで,家内の保険証を持って入退院窓口に行き,その提示を行いました。次は,2月分の医療費の請求書が来ていたので会計まで支払いに行きました。2月18日から28日までの医療費は**円だったのですが,事前に高額医療控除の申請を行っていたので”57,600円+食事療養費”以外の費用は控除されました。また,会計窓口で「他の医療機関(PET-CT,薬局等)の費用も控除できるのか。」と聞いてみると「出来ません。」との答えでした。しかし,事前にNETで調べていたのですが”医療機関ごとに21,000円以上になっているものがある場合は合算できる”となっているので,区役所に確認するつもりです。(家内の医療費は惜しくないのですが,市民の権利は行使します。)
 家内の病棟に行ったのは13:00で,家内は食堂に居ました。談話室で少し話をすることにして,家内に昨日購入してきたトレーナーを見せると,家内は「これはトレーナーやん。これを着て運動しろと言うんか。」と怒りました。そして,トレーナーの上着を見て「チャックが付いているやん。こんなん着て寝られへんわ。常識やん!」と言いました。私は考えて行動する方で,昨日家内から「トレーナーも欲しいねん。」と言われたときに,”パジャマばかり着ているので飽きたのだろう”判断して,LIFEの店員に探して貰いトレーナーを購入してきたのでした。そして,私はいつも家内からの頼まれものを忘れないようにメモを取り,購入後も「トレーナー買うて来たで。」とメールして,家内から「有難う。」の返信もあったのです。
 私の精神状態も極限近く悪くなっているので,談話室で家内に「トレーナー買うてきて欲しいと言うたから,買うて来たのに!」,「言われたことは,ちゃんとメモしてあるんや。」と声を荒らげました。もう少しで,”そんなに偉そうに言うのなら,自分で買うて来い”と言いそうになりましたが,家内は重症の病気なのです。まさか,**が脳まで転移したとは思いたくなく,病から来る精神的な異変だ,可哀想にと思い「今日帰りに交換してくるわ。」,「何が欲しいのや?」と聞くと,家内は「スエットや。」と言いました。
 次に,昨日購入してきたショーツを見せると,家内は「2枚組になっている。」,「2組も買うてきて,どうするんや。」とまた怒りました。私は,これも店員に探してもらい婦人用のショーツを購入したのですが2枚組になっているとは知りませんでした。そして,少しでも家内が楽になるのではと”妊婦用ショーツ”も見せてもらったのですが,前部に切れ目があり止めたのでした。
 私の苦労も知らずに家内が怒ったので,私は思わず「多すぎるのやったら,捨てたるわ。」と近くにあったゴミ箱に捨てようとしました。すると家内は「沢山あっても,邪魔にならんからええわ。」と言ったので,捨てるのを止めました。夫婦共に異常になってきたようです。**は人格まで変えてしまう恐ろしい病気なのですね。
 その他の話をしていると,自宅でのテーブルの話となり,家内が以前購入してきた組み立て式のテーブル(通販で宣伝しているやつ。)が放置されていたのですが私の部屋の片づけをしているときに組み立てた話をしました。私は「あんなテーブルはぐらぐらで使い物にならん。」,「熱いものを乗せて倒れたら,大火傷する。」,「邪魔になるから捨てるわ。」と言うと,家内は「家に帰ったら見てみるから,捨てやんといて。」と言いました。家内は自分のを知っているはずですが,未だに”家に帰れる”と思っているのかと判り,私は悲しくて・可哀想で泣きそうになりました。そのような家内に,声を荒らげたことを大反省しました。まだまだ,私は人間が出来ていませんね。

 30分以上椅子に座っていると,家内の足の浮腫みが酷くなり歩けなくなるので病室に連れて帰りました。病室で家内と喋っていると消化器内科部長の回診があり,私と家内に「腹部の腫れがましになるように月曜日に手術を行いたいので,夕方説明したい。」との話でした。その話は17時半ぐらいからとのことだったので,私は一旦自宅に帰り再び来ることにしました。(私も,肉体的・精神的に疲れ切っており休息が必要なのです。)
 病院からの帰路にLIFEに立ち寄って,店員に「昨日購入したトレーナーですが,スエットに交換して欲しい。」とお願いしました。実は,私は”スエット”とはどう言う物か知らないのです。店員の話では,「スエットはパジャマとほとんど同じです。」と言われたのですが,私は「スエットを下さい。」と店員に探してもらいました。LIFEの店員は愛想が良く,嫌な顔もせずに私に付き合ってくれたので,これからの私の生活用品はLIFEで買うことにします。

 15時過ぎに自宅に帰り,取りあえず米を洗って炊飯器をセットして布団に寝転びました。そして,14:20に本日2回目の病院へ自転車で出かけました。談話室で待っていると,17時半過ぎに若い医師が私を呼びに来てくれて,家内と一緒に手術についての話を聞きました。
 話の内容は,3月3日に呼び出された時と同じ内容であり,”何故あの時に手術してくれなかったのか”と疑問に思ったのですが,「よろしくお願いします。」と頭を下げました。何とか,家内を少しでも楽にして欲しいのです。家内と病室に戻り,いつもの様に「明日,また来るわ。」と言うと,家内は「有難う。いつも済みません。」と言いました。この様な言葉を聞くと,私は体調が悪くても家内に逢いに来たくなるのです。

 18時過ぎに暗い自宅に帰りましたが,気分が非常に落ち込んでおり,肉体的にも病院まで2往復したので疲れ切っていました。夕食を摂る気も無くなったのですが,頑張りました。
 夕食は昨日購入したじゃがいもとベーコンの炒め物ひじきと家内が買って来ていた焼き海苔をおかずとして,これだけでは寂しいのでインスタント卵スープを作りました。

 今日の日記は老夫婦(共に65歳以上)のくだらない会話を綴りましたが,家内が**で無かったら書かなかった内容でしょう。
2015年3月12日(木) 頼まれて
 昨夜,母から家内の容態を気遣っての電話が入った。「長い入院やね。」,「あんたも一人で大変やろ。」,「長い間入院していたら医療費も大変やろ。」と言ったので,「まだ退院の目途がついてないねん。」,「入院が長引いても,その費用を払うぐらいの蓄えはあるから。」と答えました。そして母は「あんたも体を大切にせなあかんで。」,「二人とも病気になったら大変やから。」と言って電話を切りました。母には家内の本当の病気と余命を伝えていません。弟の嫁からは「そろそろ,お母さんに病気のことを教えてあげんと急に亡くなった言うたら倒れるかもしれんで。」と言うのですが,心配性の母(私はその遺伝で心配性)は気を病んで病気になりそうなので言うつもりはありません。

 昨夜も寝付けずに睡眠導入剤2錠を飲んで眠りに落ちたのは午前2時半ぐらいでした。最初のトイレは7時ごろで,次に目覚めたのは9時過ぎでした。トイレに1回しか行かず,7時間近く眠れたので久しぶりに体調は良かった。朝食を摂り10時過ぎから洗濯をしながら私の部屋の片づけを行いました。そして,昼食後の12:30に自転車で病院に出かけました。
 12:58に病棟の受付を済ますと看護師から「奥さんは談話室に居られます。」と教えられました。毎日ほぼ同じ時間に面会に行っているので顔を覚えられています。
 談話室で家内の容態を聞き(良くならないが),暫く喋って病室に連れて帰りました。今日の家内は精神的に安定しており,泣き言を言わなかったので良かった。
 病室で家内からの頼まれものを渡していると,「昨日のパンツは真っ白なので汚れが目立つ。色付きが欲しいねん。」,「トレーナーも欲しいねん。」と言い出したので帰路でLIFEに立ち寄ることにしました。

 14:20に病院を出てLIFEに立ち寄りました。先ず,3Fの家庭雑貨売り場でコップを洗う用のえ付きスポンジ掃除用のクイックルワイパー歯磨き粉(チューブ)を購入して,2Fの衣料品売り場に行きました。衣料品の購入は全く苦手なので女店員を呼んで「LLサイズのショーツが欲しいんです。」,そして「トレーナで上はLサイズ,下はLLサイズが欲しいのです。」と探してもらいました。家内は,今回の病気でやせ細っているのですが腹部の腫れが酷く,大きなサイズの衣類が要ります。流石にLLサイズのトレーナ下は裾が長いので,家内に身長に合わせて寸法直しをして貰うことにしました。ついでに,私が痩せてしまったためベルトの穴が無くなったので新しいベルトを買うことにしました。ベルトもこれまで家内が全て買って来てくれているたでどんなのが良いのか判りません。現在使用しているベルトは”ヴィトン製”なのですが,店にあるのは2000円以下の安物?なのです。でも,これからは分相応な品物を購入しないととそれを購入しました。
 最後は1Fに降りて減塩醤油を先ず探し,今夜の細巻きの鉄火巻き,明日のおかずなどを購入して帰路につきました。LIFEでの支払いは1.5万円を超えました。家内は買い物中毒だと言いましたが,私も沢山買いますね。年金だけでは絶対に生活できません

 15時半過ぎに帰宅して,私の部屋の午前中の掃除の続きを行い,眠くなったので17時半から夕寝です。部屋の整理も大変です。
 夕食は鍋焼き肉うどんを落として,細巻きの鉄火巻きとで済ませました。
2015年3月11日(水) 気弱になってしまった家内
 昨夜も午前1時半に睡眠導入剤を飲んで眠りにつきました。夜になると,寝付くのが怖くなって眠れないのです。そして,6時前に2回目のトイレに行ってから眠りが非常に浅く,寝ているのか考えている(家内の症状や将来の不安)状態なのか判らない状態です。最近,夢の中でも”家内の病気”が出てきたり,元気な時の家内が笑っていたりと潜在意識が夢として出るのです。精神異常の前兆ではないかと心配しています。(寝ても覚めても考えるのは”家内”の事ばかりです。)
 最近は私の体調も良くなく,布団に横になると眩暈がしたり,立ち上がり時も眩暈がします。これまで,眩暈の原因は”耳が原因”と考えていましたが,もっと怖い要因があるのでは。そして,腎不全のため昼間病院に出かけると尿が出ず(腎臓が尿を作れない),帰宅後安静にしていないと駄目なのですが夕食に”辛い”ものを食べると夜中に頻尿(1~1.5時間毎にトイレに行きたくなり目を覚ますが,尿は余り出ない。)が酷くなり寝不足になります。また,夜23時ごろから自律神経失調症となり,精神状態が不安定となるので動悸が高くなり,体が火照ってくるので布団から足を出して体温調整が必要です。更に,追い打ちをかけるように”家内の病”に対する不安感で,益々体調が悪くなります。

 今日も6時過ぎからあまり寒いので暖房を入れて布団に潜り込み震えました。朝食を摂るために起きようとするのですが,起きることが出来ずやっと10時過ぎに朝食と家内の衣類,私の下着の洗濯です。しかし,朝食後も寒気,頭痛,倦怠感で又もや寝込んでしまいました。家内の病院には13時ごろに行く予定でしたが,今日は体調が悪すぎるのと頼まれものが無いので「今日は病院に行けない。」とメールを入れようと考えて12時前まで寝ていました。でも,頼れる人が私以外の他に居ない家内は私の来るのを待っていると思うと,気力を振り絞って起きて”病院に行かねばならない”と自分を鼓舞しました。そして,出かける前に洗濯物を物干しに干しました。
 今日も寒い日であり,自転車で病院に行く体力も無さそうなので12:40のバスで行くことにしました。いつもなら,私は13時±5分で病棟に行くのですが,今日の私は遅れているのを心配してか13:08にバスの中の私に家内から電話が入りました。私は「今,バスの中や。」と家内に言うと,家内は「エレベータホールで待ってるわ。」と返事をしました。エレベータホールでは携帯の通話可能エリアが設けられているのでが,わざわざそのような場所で私を待たなくても病室や談話室がで待てばいいのです。そして,私が何分後に病棟に到着するとも言わなかったのに,ホールで待っているとは何か尋常でないことが起っていると,私は心配になってきました。

 バスを降りて急いで16Fエレベータホールに行ったのは13:15でした。家内はそこで,一人でポツンと椅子に座って私を待っていました。私は家内に「どうしたんや。医者から,何か言われたんか?」と聞くと,「いいや。内緒の話があるねん。」と言うので,取りあえず談話室に行くことにしました。談話室の片隅で家内から「昨夜点滴中に便意をもよおし,体勢を変えようと動いたら便が出てしまった。」,「点滴の中にも下剤が入っていたのだが。」(家内は***のため便が出ないので下剤を飲んでいるが,それでも出ないので点滴にも入れたらしい。)「着衣を汚してしまった。」,「看護師は,そんな時は呼んでくれたら良いと言ってくれるが」,「こんな体になってしまって,情けない。」と泣きはじめました。これまでの,家内との40年間に辛いことがあっても泣き言を言わず涙を見せない精神的に強い家内が涙を浮かべるなど相当に辛いのですね。私は,家内が治らないことを知っているので返すべき適切な言葉が無く「下剤がきついからやで。」,「病気やから仕方がないやん。」としか言えませんでした。やせ細っているが腹部が異様に腫れている,青い顔をした家内の涙を見ると私は”可哀想過ぎて”私も泣きそうになりました。残忍な病魔は家内を容赦なく次から次へと波状攻撃で襲ってくるのですね。私までが,家内の前で”弱気”を見せたくないので涙をこらえましたが,胸中は張り裂けんばかりの苦しさでした。(弱い私ですから,一人なら泣いていました。)いつもの強気な家内なら私も少しは楽なのですが,涙を浮かべる弱気な家内など・・・・

 内緒の話とは”便を漏らしてしまった”と言うことで,病室の同室の方に聞かせたくなかったのでしょう。家内を慰めながら病室に連れて帰りました。
 病室では家内は汚れた衣類を袋の中に入れており「臭いけど洗濯してくれる?」と不安そうに私に言います。これまで,家内は以前に人工股関節置換手術で2ヶ月ほど入院した時には自分で衣類を洗濯していたのですが,今回の病では自分で洗濯できないので”私に迷惑をかけている”と感じているのは知っていました。そして,私は性格的に直ぐ怒るので,今回の粗相も怒られると家内は思っていたようでした。私は,理不尽な行動,他人の迷惑を考えない手前勝手な行動等私の考え方と合わない場合には怒りますが,今の家内には何があっても怒りませんから頼ってください。口下手な,照れ屋の私は家内に「気にすることはあれへん。洗濯してくるわ。」と普通に言いました。
 また,家内は「パンツのはき替えが無いので,コンビニで買うてきて欲しいねん。」と言いますが,私は自分の肌着でも生まれてこの方購入したことが無いのに,女性物を買えるかどうか判りません。そこで,「車椅子に乗せて行くから,コンビニ(5F)に行こか。」と言うと,家内は「しんどいから,よう行かん。」と答えたので一人で行くことにしました。パンツのサイズは,通常ならMサイズなのですが,腹部の腫れが酷くLかLLサイズか判りません。
 コンビニに行くとショーツとブリーフの2種類が置いてあったのですが,何方が女性用か判らず近くにいた若い女性に聞きました。そして,ショーツのLとLLサイズの2種類を買って病室に戻り家内に「サイズが判らんから2種類買うて来たで。欲しかったら,なんぼでも買うて来るで。」と言いました。

 14:32に病院の前から出るバスに乗り帰宅することにしましたが,私の気持ちは”家内への同情”から落ち込んでしまっていました。15時過ぎに自宅に帰り,布団の潜り込みましたが寒くて(暖房を入れても),体調が悪いこともあって精神的な落胆が大きく狂いそうなので今日も精神安定剤のお世話になりました。
 19時前から夕食の準備ですが,気力が無く昨日の余りの千切りキャベツの上に低塩ハムを敷きマヨネーズをかけて食べることにしました。(本当はハムを焼いて目玉焼きを乗せたかったのですが,料理方法が判りません。)そして,他のおかずは何れも昨日購入しておいたひじきポテトサラダで代わり映えがしません。
 20時からは食器を洗い,風呂も洗ってデザートのいちごを食べました。そして,21時前に風呂に入り,その後にこの日記を書いています。
2015年3月10日(火) 一人でも忙しい
 昨夜はなでしこジャパンフランスのサッカーをを見ました。そして,予想通りなでしこは負けました。少しぐらい明るい気持ちにして欲しかったのだが,実力の差はどうしようもない。
 試合結果だけでなく,色んなことで暗い気持ち睡眠導入剤を飲んでも寝つきが悪いのです。結局眠りに落ちたのは午前2時を過ぎており,9時過ぎに起きることにしたのですが眠くて体が怠いのです。ゆっくりと朝食を摂り,何をする気力もなく寝転んでテレビ見ていると11時を過ぎました。そして”その時”に備えて私の部屋の整理が最優先となるので不要物を片付け始めます。私は,行動するのに腰は重いが,何でも捨てるのに躊躇しません。しかし,30分ほどで整理に飽きてきて無理をして昼食のパンを食べました。

 12:30に自転車で自宅を出て病院に向かったのですが,風が非常にきつく滅茶苦茶寒い日でした。それでも,家内の病棟到着は12:58であり,家内は昼食が終わった所でした。私は昨夜,上手に鮭が焼けたが台所が生臭くなった。米が無くなったので,低たんぱく米(価格は3倍するが腎不全なので。私が寝込むと看護してくれる人が居ない)とコシヒカリとブレンドしても良いものか,スーパーの天ぷらの消費期限は等病気とは関係のない話をすることに心掛ける。15分ほど食堂で家内と話をして,家内を病室に戻しました。
 今日も家内から頼まれた洗濯物等を渡し,洗濯するものを受け取ります。家内の体力低下は著しく,ペットボトルのふたも開けることが出来なくなりました。私は14:20まで談話室で本を読み,病室の家内に「明日も来るから。」と言って病院を去りました。雨が降ろうが槍が降ろうが毎日顔を見に来ますから

 病院からの帰路にスーパーに寄り,先ずは新潟県魚沼産のコシヒカリ(家内がこの銘柄を好んでいるので私も真似です。),天ぷら(玉ねぎ,かぼちゃ),カツオのたたき,ひじき(貧血に良いとのことで出来るだけ毎日食べます。),千切りキャベツ,パン等を購入して帰宅したのは15:30でした。帰宅後に先ずは,ご飯を炊く(2日分の1.5合)ために米をとぎ,炊飯器で18:30炊き上がりの予約です。そして,体力回復のために1時間ほど昼寝です。
 17時になったので整形外科医院に出かけました。医院では10名待ちだったのですが,初診の患者が多く結局1時間待たされて腰への注射です。そして,リハビリも待たされたので帰宅したのは19:20となりました。整形外科医院に行くと待ち時間が多いので,精神的に余計にイライラします。私は,待たされるのが大嫌いです。

 急いで夕食の準備(天ぷらをトースターで焼いて表面をカリッとさせる・・・これも家内の真似です。)をして,炊き立てのご飯にカツオのたたき,天ぷら(家内なら大根おろし付きの天つゆを作ってくれるが,私には作れない。)の下に千切りキャベツを敷く,わかめスープ(塩分が多いので水で30%程薄めました。)で豪華?に食事をしました。
 夕食が終わると20時になったので食器を洗い,次に風呂洗いです。そして,昨日電話機セット時に出たゴミ(普通ゴミ)や昼前に集めたプラスチック類のゴミ,紙の箱などの資源ゴミを台車に載せて1Fのゴミ集積場に運びました。これが終わると,21時になったのでイチゴを洗って食後のデザートです。そして,この日記を書いています。

 毎日,昼間に病院に行き家内と逢って,スーパーに寄って帰宅するのに3~4時間を要して,洗濯や食事の準備,後片付けなどをするので一人の生活でも忙しいです。少なくても,私の部屋や居間を整理したいのですが,気持ちだけが焦って手を付けられません。
2015年3月9日(月) 人間は考える葦である
 今日も朝から小雨が降っており,気温の割に私が寒く感じるのは”心が寒い”からだけなのでしょうか。病棟到着は13:02で,家内は食堂で食事が終わった所でした。家内の体調は・・・です。(書けない!)家内の足の浮腫みが酷く持ってきていた普通のサンダルを履くと歩けないので「部屋(家内の部屋)を入った右側のクローゼットの下に赤と白のストライブが入ったサンダルがあるから持って来て欲しい。」と言われた瞬間に私は顔を歪めてあの部屋の中は滅茶苦茶なので,よう探すかな?」と私が言いました。すると家内は「あんたの部屋と大差ないで。」と言い返します。私の部屋も綺麗とは言えないのですが,私は物を直ぐに捨てますが,家内は”捨てることができない”のです。従って,家内の部屋に入るのが怖いのです。
 クローゼットは衣類で溢れて,扉が閉まらない状態です。そして,その部屋には私と家内用の洋服箪笥が2竿置かれているのですが,私の洋服箪笥(5年ほど前に,働くのを止めた際多くの衣類を捨てたのでガランとしていた。)まで家内の衣装が占領しています。また,それだけでは衣類が入らないので部屋の4面にハンガーで衣類をぶら下げており,ベッドの下も色んなものが詰め込まれています。これが,家内の部屋の”ゴミ屋敷”たる所以なのです。この様な状態になってしまったのは,”買い物中毒”と言う病気に,”片付けが苦手”と”アルコール中毒”が重なっており,これまで何度も私が「片付けろ!!」と怒りまくったのですが,家内は「その内に。」と言って現在に至っています。私が20万円のカメラを購入するのに悩みまくるのに,家内は数万円の洋服をポンポン購入してきました。我が家の経済が苦しいのは,この浪費が原因です。それにしても,家内の部屋の片づけは私の手に負えません。”どうしようか”と悩みます。
 その他,食堂で15分ほど喋って病室に戻り持参した水や詩吟仲間からの家内宛ての手紙などを渡しました。そして,洗濯物も預かったので帰宅後に洗濯です。

 14:20に家内の病室を出てバスにて自宅到着は15時過ぎでした。今日も体調が悪く布団に潜り込みテレビを観ますが,頭の中は家内のことで一杯になり”可哀想だ”,”寂しい”で精神的に苦しくなってしまい”精神安定剤”(かなり効果があり,気分の落ち込みが少なくなります。でも,阿保になる?)を飲んでしまいました。いつまで,この苦悩が続くのでしょうか。夕方から電話器のセットをしましたが,電話器の置き場所もゴミの山で片付けて清掃するのに時間がかかり”初期設定”のままで電話機の使用開始です。

 私自身性格的に”考え過ぎ”であるのは承知していますが,中学か高校時代に習ったパスカルの「人間は考える葦である。」と言う言葉を思い起こします。その意味は「人間はひとくきの葦にすぎない。自然の中で最も弱いものである。だが,それは考える葦である。」と言うことで,古来から人間は考え続けてきたのですネ。現役時代からの私の口癖であった「頭を使え。」も意味は似ています。パスカルは,物事を徹底的に考え抜いた人だそうで,人間についてこう言っていました。
 「すべての人間は幸福を求めている。これには例外がない。その手段がいかに異なっていようとも,みなこの目的に向かっている。意志は,この目的に向かってでなければ,一歩も前へ進まない。これはあらゆる人間の,みずから首をくくろうとする人に致るまでのあらゆる行為の動機である。」としているが,”幸福とは何か=何のために生きるのか”に行きついて私には答えが出ない。今の家内の立場なら,どのように答えだすのか?綺麗ごとでは言い表せない,残酷な答えになるのだが。やはり,考えないことが一番幸せなのでしょう。

 今日家内から教えてもらった火加減でオーブンで鮭を焼いたが,焼時間が判らないものの初めてにしては”上手に”焼けました。しかし,煙は出ていないのに台所が生臭くなってしまい,換気扇をつけても匂いが取れません。何でやねん?そして,夕食は昨夜の残りの”お粥”に焼鮭,ひじき,出汁巻き玉子(共に昨夜の残り)とマカロニサラダで済ませました。
2015年3月8日(日) 電話が届いたが
 今日も家内から頼まれたものを持参して病棟到着は13:00でした。今日も家内は食堂で一人で昼食を摂っていました。昼食前の薬の服用(薬を飲まないと腹痛で食事が摂れない)と早く食べられないので,いつもこのようになるのだそうです。暫く,家内と食堂で家事を教えてもらいます。(家内の気分を転換させるためにも私が質問を繰り返します。)オーブンでの鮭の焼き方,玉子の有効期限,冷蔵庫内に保存されている食材について,等私が判らいことばかりなのです。これだから,私が一人残されるのが不安になるのです。
 食堂で20分ほど喋って家内の病室に戻り,昨日久しぶりに入浴したとのことで洗濯物を預かっていると,家内の洋裁学校時代の友人(45年以上来の友達らしい。)がお見舞いに来られたので私は談話室に行きました。この友人は,頻繁に家内を見舞ってくれてありがたいです

 14時前に友人が帰られ,14:20に私も家内に「帰りにスーパーに寄って,それから洗濯するわ。」,「また,明日来るから。」と言って病室を去りました。スーパーでは明日用のおかずを考えて買い物しますが,もうマンネリになったのか案が出ません。毎日の食事の献立を考える主婦は尊敬に値します。
 適当に買い物(家内から,しばしば叱られたので多量には購入しません・・・捨てることが多いので。)して15時過ぎに帰宅して,直ぐに洗濯開始です。その後,昨日届けられた電話機の取扱説明書を読みました。現在使用中の電話機は20~30年前の古い機種で,現在は壊れていますが留守電録音はテープを使用したものでした。そして電話機は居間に置かれており,私が自室でテレビを観ていると電話の呼び出し音が聞こえず(耳が遠くなったのも原因),家内が居ない今では電話に出ることができません。
 そこで,今回親子電話をNETで購入したのですが,機能が多く取扱説明書を読まないと設定できません。”選んでケータイ”と言う機能があり,固定電話から携帯電話に電話するのに通常料金の約半額となる機能があるのですね。でも,取説を長時間読む根気(気力)が無くなり,電話は届いたがセットできるのは明日以降です。
 電話は現在病院からの緊急連絡用に携帯電話と固定電話を登録しているのですが,携帯電話は自室に置いておくことが多く台所にいると固定電話しか呼び出し音が聞こえません。

 夕食用にご飯を炊こうと思ったらコメが1合も残っていませんでした。仕方がないので,今日も”お粥”を炊くことにしました。そしておかずは,今日購入してきた肉じゃが(まず肉じゃがを水洗いして塩抜きを行い,その後炊いて温めます・・・家内が居たら,私用に肉じゃがを炊いてくれるのに),ひじき,出汁巻き玉子,そして昨日の残りのイワシの煮物となりました。明日は鮭を焼く気になるのでしょうか。

 夕食後に昨日葬儀場の目途がついたので,家内の遺影写真用の画像印刷です。家内は近年黄斑変性片目がほとんど見えなくなり目つきが変わってきたので,画像は2010年に撮影したものとしました。ついでに,私もさほど遠くないだろうと自分の画像を遺影用に印刷したので,覚書(預金や不動産等の場所)と一緒に弟に渡しておきます。人間いつ何時,何が起こるか判らず独居の私に”事が起れば”弟が大変でしょうから。侘しい,情けないことですが事前準備が必要です。
2015年3月7日(土) ああ!涙雨
 今日は朝から冷たい雨が降っていました。9:26に家内からメールが入り「月のしずく(水)0.5Lを持って来て欲しい。」とのことでした。何故だか家内からメールが入ると,メールする気力が残っているのだと嬉しくなります。そして,今日も当然(義務?)のようにバスで洗濯した衣類を持って家内が居る病棟到着は12:58でした。(看護師詰所で面会札に時間を記入するので正確です。)家内は食堂で食事中でしたが,相変わらず5分粥を1/3程度しか食べられず,おかずには全く手を付けません。日々体調が悪くなっており,ベッドから起きるのも気力立ち上がるのも気力が居るそうで,食事をベッドまで運んで貰わないと駄目になる日も近いでしょう。
 食堂で家内と話していると,「なぜ治らへんねやろ。」(腹部の腫れ),「**先生(主治医)はもう見切りをつけたんと違うか。」とぽつんと言いました。私は医師から聞いて知っています。もう治らないのですが,家内に言うわけにはいけません。この様な話をしていると,家内の顔をまともに見ることが出来ず(可哀想で)胸が張り裂けんばかりになります。でも,私は極力平常心を装っていますが,私の体重が日に日に減って来ており,顔色も悪くなって来ているのを見て家内は悟っているのでは。
 食堂で座っている家内は,食事の後で気持ちが悪くなるそうで「おぇえ!ハア,ハア」と苦しそうにします。本当に哀れな姿になってしまいました。歩いていると倒れそうになる家内を庇いながら病室に連れて帰りました。家内は食後の薬を飲んだのちにベッドに横になったので,私は「明日も来るから。」と言って病院を去りました。

 3日の夜に母から家内と私を気遣っての電話が入ったのですが,私の精神状態が異常で冷たくあしらったのを気にしていたのと,実家近くの**会館に葬儀の見積もりを取るために実家に帰ることにしました。20~30名の家族葬にするつもりですが,ここでもお坊さんのお礼(戒名料)を入れると200万円を越えます。(30分以上かけて細かい見積書を作成して貰いました。頼もうとしているお坊さんは由緒ある寺の住職なので,戒名9文字【**院***大姉】で70万円以上が相場とのことです。この坊さんは毎月実家にお参りしている方で,父の葬儀の時はこれほど高価ではなかった?)葬儀の相場はこのような物かと思い実家に帰りました。実家で弟に葬儀費用の話をすると,「きょうびは家族葬が増えており,200万円は高すぎるで。」と言うのですが,私は「みすぼらしい葬儀をすると家内が可哀想や。」と反論です。すると弟は「どの様な葬儀をするかは,兄貴の好きなようにしたら良い。」,「しかし,見栄を張って立派な葬儀をしても,家族葬なので親戚ばかりやで。」,「誰も兄貴を甲斐性無しとは言えへんで。」と言います。父の葬儀の際も私の一存で分不相応な葬儀を行ったのを弟は覚えていますから。そして,葬儀以外に仏壇や墓の費用,そして医療費もまだ要ります。
 弟から「近くに家族葬専門の葬儀場が出来たで。」と教えてもらったのですが,私一人でそこに行くと何をするか判らないので恥ずかしながら弟に付いて来てもらいました。このような時に頼れるのは弟だけですから。その葬儀場で話を聞くと,前2会館より30~40万円安く葬儀を行うことが出来き,会員になると1割引きになると言うことで会員になりました。次には,母が控えていることだし1万円の会費は高くありません。やはり,費用で高価なのは坊さんのお礼ですね。会館内部を見学させてもらいましたが,価格相応の作りですが今の私には分相応でしょう。家内の病気が治るのなら,今後の生活が苦しくなっても治療費として500万円でも出す気持ちでしたが,家内に先に逝かれた場合には私の生活も必要になります。
 実家に戻って,母に顔を見せて家内の入院は長引くようだと話ししました。母は「**さん(家内)が可哀想やね。」,「あんたも寂しいやろ。」,「早く退院出来たら良いのにね。」と言ってくれました。そして,父が祭られている仏壇に持参したお供えを置いて,父に「**(家内)が苦しまずに,天国に召されるように。」とお願いしました。もう,家内の病気を治してほしいとは言いませんでした。

 17時過ぎに実家を出る時も3月にしては冷たい大粒の雨が降り続いていました。これは,私の”涙雨”なのですね。自宅帰っても,夕食の準備をする気が起らず,病院で家内から鮭の焼き方(「鮭を水で洗い,塩分を取ってから味醂を水で薄めて鮭を付けておく。そして,コンロで焼いたら煙だらけになるので,コンロの下オーブン?で焼くんや。」と教えてもらったが,私には無理かも)を教えてもらったのですが気力が無く,昨日炊いたお粥の残りに昨日買ったイワシの煮物とたらこの瓶詰で済ませました。しかし,量が少なすぎたので,最後の手段として家内が家内自身のために買置いていたカップヌードルも食べました。
 それにしても,益々暗い日が続き2日連続”精神安定剤”を飲まないと自宅に一人で居られなくなりました。医学的には”気分障害”と言う病気だそうですが,この状態が昨年末から続いています。薬を多用すると本当の”*違い”になるのではと心配しています。二人ぽっちの夫婦で連れ合いが先立とうとしている家庭で残された者の精神状態がこのようになるのは,私が感受性が強すぎる(気が弱すぎる)からなのでしょうか。もう,4カ月ほどで古希を迎える老人なのに情けないと思います。家内に”その時”が来たら私の精神状態はどのようになるのか判りません。今までの人生で色んな絶体絶命のピンチを乗り切ってきましたが,今回ほどの辛い・悲しい経験をしたことが無いのです。
2015年3月6日(金) 夜が寂しい
 夜になると未だに非常に寂しく精神状態がおかしくなる睡眠導入剤を飲んで何とか眠りにつくが,頻繁にトイレに起きるので熟睡が出来ずに又もや睡眠導入剤を飲んでします。これまでは,起床すると不安感が薄れており,体調が良ければ精神安定剤を飲まなくても1日過ごせます。今日は寝覚めが悪く,連日の病院通いも重なって疲労が蓄積しているのか体が怠く,精神状態も良くない。(不安&寂しさ)9時過ぎに朝食を摂ったが,又もや布団に潜り込み起きられたのは11:50です。体調が悪く,今日は病院に行きたくなかったのですが家内の方がもっと辛いので出かけました。
 13:00に病院に到着すると家内は食堂で同室の患者と食事を済ませた所でした。やはり,今日も食事が殆ど摂れないようで,腹部が又もや腫れてきました。(医師よりは,月曜日に再度注射器で腹水を抜こうと言われているそうです。)暫く食堂で喋って,病室に戻るのに少し歩くのですが非常に辛そうで,腫れた腹部を突き出してしんどそうゆっくりに歩きながら家内は「まるで相撲取りの様やな。」と冗談を言いますが,哀れです。病室への途中で家内が「唇が荒れて仕方がないので,メンソレータムのリップクリームを買うてきて欲しいねん。」と言いますが,私に見つけることができるか判らないので,「車椅子に乗せて連れて行こうか。」と聞きました。すると家内は,「しんどいから,良う行かんわ。」と答えます。車椅子に乗せてもらう体力も無くなっており,2月28日に退院予定だった家内が,これほど病状が悪くなるとは・・・もう2度自宅の居間テレビを観ながら笑っている家内の姿を見ることができないでしょう。

 家内を病室に送り,リップクリームを購入するために5Fのコンビニに行き,何とか目的の品物を購入出来ました。そして,談話室に戻り本を読んでいると,フラダンス仲間の方が来られ「奥さんに託物を持ってきたが,”しんどくて喋る元気もない。”と言われたので出てきました。」とのことで,「お大事に。」と言われて帰られました。あれほど喋るのが好きな家内が・・・
 14:30となったので家内の病室に行くと,家内が「**先生(主治医)が来られて,”頑張って”と言ってハイタッチしたで。」とのことです。この主治医は家内の症状(余命)を知っているにもかかわらず,いつも元気に励ましてくれますありがとうございます
 私は「明日は洗った洗濯物持って来るわ。」と言うと,家内は「昨日貰ったお見舞い(和菓子)は食べられへんので,持って帰って。」と言い,「有難う。気を付けて帰ってな。」に送られて病室を出ました。病院までは電動自転車で往復1時間程度かかります。交通事故に注意しないと。

 今日は私自身もしんどくて気分が暗くスーパーに立ち寄る気力も失せていたのですが,食べる物が無く寄ってみました。家内が入院以来焼き魚を食べていないので”薄塩の鮭の切り身”等を購入しましたが,鮭は塩分を取るために洗いますが”焼き方”が判らないので明日家内に聞きます。(今のうちに,知らないことを聞いておかないとと思うのですが,”聞き過ぎると”家内が不審がると思うので難しいです。)
 15:30に自宅に帰り,夕食の準備をする気力がなくなる前に炊飯器で”お粥”を予約しました。(お粥しか食べる気力がありません。)そして,洗濯物をといれて布団にダウンです。

 18:40に何とか布団から出ることが出来て夕食の準備をして食しました。”お粥”は0.5合炊いて,明日も食べるのですが2日分にしては少なすぎたので,次回から0.8合炊きます。今夜のおかずは,買置いていた減塩ハム(本当なら,油で炒めて目玉焼きにしたいが,できません。),かぼちゃ,切り干し大根として,家内が買っていた”インスタントのフカヒレスープ”で夕食です。
 最近,毎日の病院通いと生きて行くため(オバー?)にスーパーに言って買い物をして,時々洗濯をして,食事・入浴をして寝るだけの生活のなので”曜日や日の感覚”が狂い始めました。認知症の初期症状のように物忘れが多くなってきています。脳の大部分が不安・寂しさで占めているので注意力が散漫となり,忘れると思うのですが,この状態が続くと本当に認知症になりそうです。認知症の人は”古い昔の事は思い出すのですが,数日前の記憶”が消えるのだそうです。この日記は,自分の記憶が消えた場合の”思い出用”となるので,ショウムナイ内容を書きます。3日前の,夕食の献立は何だったか判りますから。

 昔の”さすらい”と言う歌が流行しました。今の私には,その歌詞が痛いほど理解できます。
 夜がまた来る 思い出連れて 俺を泣かせに 足音もなく 何を今更 辛くはないが・・・辛いです,悲しいです,寂しいです。
2015年3月5日(木) 新聞も
 今日も家内の洗濯物を持って病棟到着は13:00でした。丁度,家内はフラダンス仲間に電話するために通話エリアに移動中でした。家内はメールをするのも辛い時があるそうですが,お年寄りのフラ仲間にはメールが出来ない方もおられるので電話をするようです。私は家内の電話が終わるまで談話室で待ち,家内と一緒に病室に戻りました。家内の症状は・・・・で良くなるわけはない!洗濯物を渡し,新しく洗濯を依頼された衣類をバッグに詰めていると,フラダンス仲間2名がお見舞いに来られ見舞い品を家内に渡しました。家内は「お返し(快気祝いが)はでけへんかもしれんよ。」と自分は治らないことを熟知していました。フラダンス仲間と暫く談話室で話をするとのことで,私は13:30に病院を出ました。

 病院からの帰路に”決めておかないと駄目”なことがあるので,自宅近くの**会館に立ち寄りました。20~30名の家族葬にするつもりですが,食事やお坊さんのお布施(戒名費用含む・・・黄檗宗は戒名費用も文字数で決まる。)を含まずに120万円で,それらを含むと200万円を超えてしまいます。(家内に「高くつくから,未だ逝くな!」と言いたいが。)この会館では,1葬儀しか行えず空いている補償が無いので,もう1~2会館(実家の近くで,家内の実家にも近い場所)を検討しないと。

 15時前に自宅に帰り,今日は新聞を断ろうと販売店の電話番号をWEB検索です。我が家では,私がこのマンションに住み始めてから40年以上の間に”毎日新聞”を購読していました。その新聞も私が早期退社(13年前)してから殆ど読まなくなり,今では家内しか読まなくなりました。そこで,毎日の病院通い時には家内のために新聞を持参するのですが,体調が悪く,黄斑変性も酷くなり読めなくなってしまったのです。従って,我が家の新聞は毎日ゴミを増やすだけの代物となり,新聞よりも多い折り込みチラシの量に辟易としていたので,新聞販売店に「明日から新聞の配達を止めてほしい。」と購読を断りました。
 今の心境では,世の中がどのように変化しようが”知ったことではない”と世捨て人の心境ですし,ニュースはテレビやNETで見ることができるのでゴミのような新聞は必要ありません。

 今日は**会館に立ち寄ってから気分が落ち込んでいるのに,17:10に整形外科医院に行くと番号札は過去最悪の31番です。長生きの年寄りが多く,体にガタがくる人も多いので整形外科は大繁盛です。(待っている時間は,イライラカリカリです。馬鹿野郎!・・・誰が?)腰への注射とリハビリが終わり自宅に帰ると17:30になっていました。普通なら家内が夕食の準備をして待っていてくれるのですが,今は待ち人が居ないので自分で夕食の準備です。夕食は生き永らえるための食事なのですかね。昨夜炊いたご飯の残りと,金時豆,出し巻き(共に残り物),ほうれん草の胡麻和え,ポテトサラダに,今日は寒いので”インスタント卵スープ”を作って夕食です。能が無いと言うか,くだらん夕食ですね。
2015年3月4日(水) 道を間違えて
 今日も6時過ぎに目覚めてしまい寝付けないので2回目の睡眠導入剤を飲んで眠った。すると,9時過ぎに家内からメールが入り「月のしずく(水)2Lを持ってきてほしい。」とのことであったが,そのメールのお蔭で目が覚めてしまった。そして,暫くすると今度は家内からの電話で「メールでは説明でけへんから電話をした。」,「居間に保湿クリームが置いてあるから探してほしい。」とのことで携帯を持って居間を探します。沢山ものが置かれている(ゴミ屋敷状態)なので見つけられるかと思ったが,簡単に見つかった。次は,「ボディ&フェイシャルミルクを探してほしい。」とのことであったが,これは難しかった。そして,その瓶を探しても中が空だったので,「詰め替え用を買うてあるから,それを入れて。」と難しい依頼です。何とか家内の依頼を片付けて朝食です。
 朝食後は,家内から預かってきた洗濯物と私の肌着やパジャマを洗濯しました。

 12時半に家を出て家内の病室到着は13時です。ベッドに居ないので食堂に行ってみると家内は食事を終えて座っていました。昼食は五分粥となっており,1/2程度食べたようですが,おかずが手付かずでした。そして,今日は体の浮腫みが大きいので利尿剤を点滴(抗生物質)に入れてもらうとのことです。30分ほど食堂で話をした後に私は最近運動不足(プールには12月中旬から行っていない。いつもなら毎週家内と一緒に行ったのだが,今は行く気が起らない。散歩も病院通いの後で自宅に帰ると疲れて昼寝するので行っていない。)なので家内に「1時間ほど散歩に行ってくるわ。」と言いました。病院を13:30に出て大川沿いの遊歩道を下流にある藤田亭に向かって歩きました。藤田亭では梅が咲いており,久しぶりに自然に触れたなとの感じです。
 帰路も大川沿いの遊歩道を歩いたのですが,何処で病院に戻る道を見失ったのか来た時と景色が違う道です。どうも道を間違ったようで,とうとう毛馬まで歩いてしまいやっと引き返しました。色んなことを考えながら歩いているので,注意力が散漫になったのでしょう。お蔭で,家内の病室に戻った時は15:20を過ぎていました。家内は点滴が終わったばかりのようで「しんどいから棚の荷物を下ろして。」と言ったので,それを下ろして「明日また来るからね。」と病室を出ました。家内は非常に弱っており,歩くのは当然で風呂にも入れないので看護師に体を拭くための暖かい濡れタオルを依頼していました。

 病院からの帰路で,今日はコンビニに立ち寄りいろんなものを購入しました。昨夜,あるテレビ番組で月の手取り額が40万円の4人家族の家庭の食費は7万円/月に抑えねばならないとしていましたが,私は一人家族なのにそれに近い食費が必要となっています。腎不全なので,特に贅沢な物は食べられないのですが。
 今夜は2日分用の1.5合のご飯を炊いて,おかずは”フランクフルトソーセージ”(非常に珍しい。家庭で食べるのは初めて?),”かぼちゃのテンプラ”,”出し巻き”,”ひじき”としました。
2015年3月3日(火) 又もや呼び出され
 昨夜家内からメールが入った。「明日は夕方に来てください。エコーを見ながら注射器で水を抜くので5時30分頃お願いします。」とのことだったので,”夕方に医師から腹水を抜くための説明があるのだな”(少しリスクが伴う)と判断して「5時までには必ず行きます。」と返信しました。利尿剤を投与して貰ったが,腹部の腫れが退かない為の処置だと思いました。

 今日は昼間時間があるので台所の整理を行いました。最近台所に立つ機会が多くなり台所付近に置かれいる物が気になっていたのです。家内は片付けるのが苦手嫌い!)で居間や家内の部屋は”ゴミ屋敷”状態なのですが,台所付近もその状態です。(流し台,コンロ,食器置場等目に見えるところは清掃していましたが。)
 台所付近には,数十年前から放置されていると思われる空になったボトル(洗剤,調味料),置き忘れた詰め替え用洗剤錆びた缶割れた瓶消化器等が多量に置かれており”家庭ごみの分別方法”に疎い私は「こんなん一人で片付けるられへん。」,「こんな汚い状態を残して,一人で先に逝くな!」,「早よ,帰って来て片付けろ。」とぶつぶつ言いながらごみの分別です。
 2時間近く台所付近を片付け,掃除をしたのでガラスの腰が悲鳴を上げたので布団で横になりました。(私も掃除が苦手で綺麗になりません。誰か助けて!

 15:50に家内からのメールで「先ほど水を抜いて頂きました。少しましになったから夕方急がないでいいんですよ。」とのことです。えっ!夕方医師からの説明の後に”水を抜く”んじゃなかったのか。私は「もうすぐ家を出ます。」と返事して,16:10のバス(夜は雨予想なので自転車は無理)で病院に向かいました。
 16:40に家内の病室に行くと家内はベッドで寝ておりしんどそうです。家内に様子を聞くと「腹部から1L位水を抜いて,少し楽になった。」,「水を抜くのに1時間半もかかったので疲れた。」とのことです。そして「6時ごろに医師から話があるそうで,5時30分に来てもらえば良かったのに。」と家内から言われて,昨夜のメールの意味が分かりました。昨夜に医師が私の同席を求めたようです。

 談話室(この部屋がだんだん嫌いになった。手術の終わるのを心配そうに待つ家族,面会に来ている心配顔の家族,**患者独特の様相をした患者さん・・・すべて暗い人ばかりです。)で待っていると18時過ぎに看護師が私を呼びに来て,主治医より私と家内に症状の説明です。若い医師は「急に呼び出して済みませんでした。」と謝ります。主治医より家内の症状(悪くなっている・・・書けない!)説明があり,先日は胆管にステントを入れたが,今回は十二指腸にステントを入れる手術をしたいとのことです。手術日は木曜日以降になるとのことですが,手術同意書にサインをしている家内の顔は”泣き出しそう”です。いつも強気な家内がこのような顔を見せたのは初めてで,私はそれを見て胸がいっぱいになりました。本当に家内が可哀想です。**患者の末路なのでしょうが,延命処置のために何度も手術を繰り返す家内の心中が慮れます。(私が余命を黙っているので,先が見えない家内は”何のために頑張るのでしょう。)
 家内の表情を見た主治医から「頑張りましょう。」と言われ,家内は「はい。」と答えました。私は医師に「よろしくお願いします。」しか言えませんでした。
 医師からの説明が終わり,家内が夕食を摂ると言ったので一緒に食堂に行きました。家内の夕食は”お粥”と聞いていたのですが,どう見ても米粒が見えない”白湯”なのです。それも,容器に半分ほどしか入っていないのですが,家内はその1/3程度しか食べられません。それも見て,私は家内への哀れさで涙が出そうです。

 降り出した雨の中を18:53のバスで自宅に向かいました。バスは夕方の帰宅時間帯で満員ですが,この乗客の中で”私が一番悲しいのでは”と悲痛に耐えていました。19:30に誰も居ない暗い自宅(ゴミ屋敷がお化け屋敷に思える)に戻りましたが食欲が全くありません。最近では,体力維持のために無理をして食べているのですが,夕食は買置いていた”天ぷら鍋焼きうどん”を作って,寂しく食べました。今日の私の精神的落ち込みは非常に大きいです。ああ!++になりたい
2015年3月2日(月) 嫌いになれば・・・
 不安から神経が高ぶっているのも原因で,電気を消して眠りにつくのが恐ろしい気がして昨夜も寝付いたのは午前1時半頃でした。そして,6時前に2回目のトイレに行ってからは非常に眠りが浅いのですが,寝不足は辛いので起床したのは9時を過ぎていました。寝ても夢ばかり見ており,とうとう一番見たくない夢が現れ始めました。本当は,昨年末からの出来事が””で,目覚めると家内の笑顔があったのなら凄いのですが。嫌な不安事は全て夢であってほしいと考えるようになってきたのも,精神的におかしくなる前兆なのでしょうか。
 9時過ぎからオレンジママレードを塗った食パン1枚とコーヒで済ませ,その後にLG21を食べるのが習慣となってきましたが腎不全の私には乳製品の過剰摂取は毒ですね。そして,昼食は11時半前から食べるのですが,朝食が遅いのと何もしない(動かない)ので普通のパン1個も食べられず,大抵1/3は捨てます。その後は夕食の19時まで何も食べません。

 今日も12時半に自宅を自転車で出て家内の病室到着は13:00でした。今日の家内は,土曜日から尿が出なくなったとのことで午前中に造影剤CT撮影を行い気分が悪くなったとのことです。私が病室に行くと家内はベッドの上に居らず食堂の方から戻って来る姿を見つけました。家内は点滴をぶら下げて,看護師に付き添われて何とか歩いているのですが非常に弱っています。家内はベッドに戻って看護師から体温と血圧の測定をされます。体温はややて高い程度ですが血圧が低く造影剤の影響が大きいそうです。家内はベッドに寝ると腹部が痛いそうで,顔を苦痛で歪めます。腹部は異常に腫れており,尿が出ないので下腹部も膨れた哀れな姿です。
 13:15から点滴にアルブミンを追加して尿の出をよくするとのことですが,腹部の腫れを退かせるための腎臓や肝臓の治療なのです。今日で2日目の投与ですが,その効果は???所詮,病名から判断して僅かな延命処置でしかないと思うのですが,家内は内心どのように思っているのでしょうか。私は,少しでも長期間家内と話がしたいのですが。
 私は14:20まで談話室で本を読み,病室に戻って「明日も来るから。」と言うと,家内は「有難う。」と返事をしてくれました。

 病院からの帰路にスーパーに立ち寄り,今夜のおかず,昼用のパン,おやつ,イチゴそして食器洗い用スポンジと洗浄丸を購入して15時半に帰宅しました。
 今夜は昨夜炊いたお粥に肉じゃが(総菜コーナーで購入した物で,塩分を抜くために水炊きしました。),レタスサラダ(野菜も食べないと),金時豆での塩分控えめ夕食です。なお,1合炊いたお粥が1割ほど余ったので,勿体ないですが捨てます。母に見つかったら「勿体ないことをすると,目が潰れるで。」と叱られますね。

 家内の病状がますます悪くなり,家内への恋慕,憐愍,不安感が日に日に募るようになって来て耐えがたくなっています。この様な精神状態の回避方法は”家内を嫌いになれば”なのですが,私には絶対に無理です。家内には私しか頼るものは居らず,頼り切っていますから。
2015年3月1日(日) 暗い日々
 昨夜はヤマダウエブコムで購入した炊飯器家内にお粥を食べさせるために購入)が届きました。注文後24時間で出荷とのことで,26日の17時ごろ発注したので28日到着はこんなものか。夕食後に食器類の洗い物を済ませて,お風呂に”自動給湯”させました。21時になって風呂に入ろうとしたら浴槽に湯が溜まっていません。しまった!排水口の栓をするのを忘れて給湯してしまったので湯が全て抜けていました。以前に私も家内も同じ失敗をやらかしていたので注意していたのですが,精神異常のための締め忘れです。(認知症かもしれませんが。)1日ぐらい風呂に入らなくても何の支障もないので入浴は断念しました。

 昨日は昼食に”天玉どんぶり”と夕食に”お寿司”を食べ,私には塩分が多すぎたので夜間頻尿が頻繁となりました。体は正直なもので,塩分摂り過ぎは禁物です。お蔭で,今日も相変わらずの寝不足でした。そして,今日は朝からうっとおしい雨降りで”暗い日々”が続いているのに,気分的に益々滅入ります。家内には昨日に”来られへんかもしれん”と言っていたのですが,やはり家内の容態が気になり(顔を見たくなり)病院に行くことにしました。毎日が,このような精神状態では,”その時”が来たら私はどうなるのでしょう。
 病院へはバスで行ったので病室到着は13:05となりました。家内はベッドの上で点滴を受けながらテレビを観ていました。今日までは”絶食”だそうですが,腹部が腫れたままなので空腹感が無いそうです。病室では「今日は雨が沢山降っており,寒いで。」,「昨日の晩に炊飯器が届いたで。」,「明日何か持ってくるものがあるか?」等病気以外の話をします。病室での長話は同室者に迷惑なので,私は談話室に行き持参した”炊飯器の取扱説明書”を読んでいました。へぇ~。炊飯器にはこんな機能があるのかと感心です。14時になったので病室に行き家内に「また,明日来るわ。」と言うと,家内は「今夜お粥を炊いてみたら。」と言い,「気を付けて帰ってな。有難う。」と言われて病室を出ました。

 今日は気分が落ち込んでいる日(日々,コロコロ変わる精神状態)なのでスーパーに立ち寄る気力もなく帰宅して,1時間ほど”昼寝”(テレビを観ていたのですが,内容に全く記憶が無いので眠ったのでしょう。)です。そして,17時過ぎから炊飯器の取説を見ながら解体,清掃を行い”お粥”を炊く準備です。炊飯器には付属品として計量カップが付いていたので1合の米(私が家内から頼まれて購入してきた新潟県魚沼産コシヒカリ2kg)を計り,取説通り内釜に入れて4回水洗いです。そして,”お粥1合”の目盛りまで水を入れて炊飯器にセットして”炊飯”ボタンを押しました。生まれて初めて”お粥”を炊くのですが,上手に炊けるのかドキドキです。(こんな時にも,ドキドキするのは異常ですね。)
 因みに,家内のご飯の炊き方はボールに米を入れて水洗いして,網にいてれ暫く水切りをします。その後,米を炊飯器に入れてミネラルウォーターを入れて1時間ほど待ち,炊飯ボタンを押します。炊飯器の取説では,内釜で米を洗い,水道水(推奨)を入れて炊飯ボタンを押すとなっていますが。

 1時間ほどで”お粥”が炊き上がりました。恐る恐る蓋を開けてみると美味しそうなお粥の出来上がりでした。(当たり前なのですね。)しかし,1合のお粥は量が多くて1回では食べられないので,明日の夕食もお粥です。次は,おかずの用意ですが何も買って来ていないので冷蔵庫の中を探すと,家内が買って来ていた”きざみスグキ”があったので,それとたらこの瓶詰で質素な夕食です。それでも,初めてお粥が炊けたので嬉しくて家内に「お粥炊けたで。1合は多すぎた。」とメールすると,家内から「0.5合でいいかもネ。おやすみなさい。」の返信が来ました。今年で古希を迎える老人が”幼稚なこと”をしていると思われるでしょうが,家内にメールする裏には”家内に異常が起っていないか”の確認の意味が含まれているのです。
 これで,家内が退院してきても”美味しいお粥”を食べさせることができるのですが,家内は食べられるでしょうか?