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5月13日(水):曇りのち晴れ
 昨夜も安定剤を飲み就寝したのですが夜間頻尿で何度もトイレに行き余り寝られません。体調が益々悪化しているので,これからいつまで遠征を行えるのでしょうか。(来年はあるのか?)今日も,4時前に起きてしまい表に出ると曇り空ですが青空も見え風も治まっています。色んな野鳥が入っているのでは期待に胸が膨らみます。
 5時頃から反時計方向に島を廻ることにし5:28港近くの公園?に行くと見慣れぬ野鳥が居ました。頭の中では珍鳥しか思わないのでツメナガホオジロだと思い撮影しましたが直ぐに飛ばれました。(後で確認するとツメナガホオジロでは有りませんでした。)
 その後,5:37校庭の前の松に行くと丁度イスカが飛来したばかりでした。早朝の探鳥は軽い300mmレンズを持参しているので手持ち撮影となり松の木の下に回り込んでの撮影となりました。
 イスカは20分近く松の木に止まり松ぼっくりを食べていますので撮り放題です。
 その後,暫く校庭にいましたが新しい野鳥が渡ってきていないので朝食のためにつかさに戻る事にしました。
 朝食後に今日もシマアオジを求めてつかさの前の茂みを探していると7:36ノビタキ雄が姿を見せました。昨日は居なかったので,昨夜渡ってきたようです。
 暫くクロノビを追いかけたのですが直ぐに遠くへ飛び去りました。
 なお,天候が回復したので今日の舳倉島航路は運航とのことです。
 つかさの前の茂みを諦めて新しい野鳥が入っていないか海岸線を歩きます。8:10龍神池セイタカシギが居ました。舳倉島では初めて見る野鳥です。
 また,龍神池で他の野鳥を探していると今年も8:12タカブシギが居ました。ツメナガセキレイが居ないかと探したのですがハシビロガモしか居なく場所を移動です。
 海岸線を野鳥探しながらどんどん歩き奥津比盗_社の側の海岸まで歩いてもアオジ,カワラヒワ程度しか目にしません。とうとう,島でもう1軒有る民宿「つき」の近くまで歩き撮影する野鳥が居ないので9:12ウミネコでもと撮影です。
 9:21早朝の探鳥でツメナガホオジロではと疑った野鳥を探すために公園に行くとその鳥は居ました。
 今回は500mmレンズで出来るだけ近づいて撮影するとその野鳥はカシラダカの夏羽であることが判りました。今までカシラダカの夏羽を見たことが無く間違ったようです。
 校庭を通ると今日帰られるHさんが居られ,民宿「つき」の女将の話では明日は風が強くなり船が欠航する可能性が高いと言われていたそうです。私は明日帰る予定でしたが船が欠航すると撮影する野鳥も居ないので退屈すると考え,今日帰ることにしました。
 校庭では野鳥も居ないので昨日撮影した8m道路の野鳥撮影場所に歩いていくとシマゴマや10:13ノゴマ雌の餌付け撮影をされていましたので仲間に入れていただきました。
 その餌付け場所の近くでは昨夜渡ってきたと思われるキビタキ(雄若)が2羽疲れて飛べなくなっていました。その姿を見ていると可哀想になり,昼から帰阪するので余っているミルワームを地面に蒔き,元気になれよと栄養剤の補給です。舳倉島で餌付けする人の大半は野鳥のために餌を置いて帰ります。
 この場所での撮影も飽きたのでつかさの前の茂みで野鳥を探すことにしました。
 つかさの前の茂みでカメラを置いていると朝方見た11:03ノビタキがやってきました。その後昼食まで待ったのですが相変わらずカワラヒワ,アトリの姿が目立ちシマアオジは見つけられません。
 昼食を済ませて荷物を片づけ帰阪準備が終わると14時の乗船まで時間があるのでつかさの前で撮影することにしました。元三叉路付近の8m道路にカラアカハラが出たとの話が有ったのですが,初見の野鳥ではなく歩くのがしんどいので止めました。つかさの前の茂みを探していると12:461羽の野鳥が港の方に飛びました。何か判らないので,ソロッと追跡し撮影するとヒバリでした。(しかし,帰宅後に確認するとヒバリより色が薄く,嘴が太いのです。これは初見のヒメコウテンシでした。)
 他に野鳥の姿が見えないのでつかさの前で椅子に座っていると前方にクロノビが止まったと思ったら,よく見ると欲しかったムギマキ雄でした。一人で撮影開始です。(後で2名参加)13:17〜13:42まで飛び回って撮影させてくれました。この野鳥が今年の舳倉島での最後の野鳥撮影でした。
 14時に乗船すると多くの方が明日の欠航を懸念され乗船されていました。船は定刻の少し前に舳倉島を離れ輪島に向かいます。復路の海はやや波があり私には心地よい揺れでした。オオミズナキドリも船の近くを飛ばないので撮影は止めて輪島まで居眠りです。
 輪島には定刻の少し前に着いたのですが,帰りは今年も名神の若返り工事に巻き込まれ自宅前まで送っていただいたのは22:30過ぎでした。今年の舳倉島では成果が少なく,来年は5月の連休前に行きたいなと思った遠征でした。 なお,予想通り14日の舳倉島航路は欠航したそうですが,1日早く帰阪したのが正解だったのでしょうか。