2013年5月30日(木) アベノミクスのお陰?
 今年に入ってアベノミクスという言葉をよく耳にして,このお陰で円安となり株価が上昇していると報道されているが本当なのか。そもそも,アベノミクスという変な言葉(何語?)は存在せず,首相の安倍とエコノミクス(経済学)を合わせた造語であり,意味がよく判らない好きにならない言葉です。固有名詞:人名を入れた変な日本語を作って人心を惑わすな!
 アベノミクス効果で円安が進み,輸出企業の為替差益の影響で国際競争力が向上して収益が拡大した。即ち,景気が良くなったとされているが,円安になったのは米国の雇用統計の改善と金融緩和策の影響が大きいとの話もありますがネ。日本経済回復のための具体的政策が行われていないのに,景気が良くなるはずがない。・・・と経済学を全く知らない年金生活者が思っています。(インフレターゲットを2%に設定して,金融政策でお金を沢山印刷することはバブル期と同様の危険性を含んでいる。目に見える構造改革を行い経済回復を行って欲しいのです。)

 先週,信託銀行から電話が入り2年前の6月16日の日記で書いている「オーストラリア公社債ファンド」の収益率が向上しており利益確定売りすべきとの話がありました。このファンドは変動リスク(為替,金利,信用等のリスク)が大きくて元本割れの危険性も含んでいたのですが,うまく行けば8%程度の収益が出るかもと冒険?したものでした。そこで,今日は昼から左足のくるぶしが痛いのを我慢して信託銀行に出かけました。収益が出た理由はドルに対する円安の影響がオーストラリアドルにも出ているのが大きく,ファンドの基準価格が上昇して2年足らずで20%の収益が発生していたのです。先週初めには22%の収益があったのですが,今日は20%に下がっていました。それでも,通常の定期預金の金利が0.1%の低金利時代に,リスクが高いとは言え20%の収益は大きいです。これも,安倍さんのお陰でしょうか?
 本日,ファンドを解約して収益を確定させました。日々5〜10万円程度収益が変化するので一番良い金利かどうか不明ですが。なお,ファンドに対しては無知で電気関係の技術者には苦手な個別元本,基準価格,特別分配金等の難解な言葉が出てきており,定期的に送付される”取引残高報告書”にて残高の推移を見ているだけでした。
 その推移では,ファンドを初めて1年の平成24年6月末までは元本割れをしており,今後どうなるのかなと思っていたのでした。即ち,1年間で20%の利益が出たことになりました。予想外の利益が出たので,その分を何かに使いたいのですがインフレや年金削減が行われるので生活資金に充てないと。現在予定しているのはパソコンの購入(WINDOWS8が良いのか?Xpのサポートが終了するので買い換えないと。),カメラの購入(7Dのモデルチェンジが噂されており,価格は25万円程度とか。発売は来春?)で40万円ぐらいが必要です。

 ファンドを解約したので,次はどの様な金融商品にするのか悩みます。今回のような,急激な円安はもう無いと思うが,未だ円安(120円/ドル)ぐらいになる可能性もあり,腐っても米ドルは強いとの話もありませ。しかし,支那のバブルがこの秋に崩壊して暴動が起こるとの話があり,これにより米国や日本も影響を受けるとされており,高益を求めてのファンド購入は危険性を伴います。また,円安が半年ほど続いており,このままこの状態が続くと慰安婦をネタにたかりを行い技術パクリ国の南朝鮮経済は崩壊します。(以前のように。)しかし,南朝鮮が崩壊しても世界経済に影響はありません。色んな事を考えると,ローリスク,ローリターンの商品にして1年ほど様子伺いが妥当かと思っています。安全に生活資金を確保するのは難しいですね。
2013年5月29日(水) 梅雨入り
 近畿地方も,例年より10日以上早く梅雨入り宣言がなされた。梅雨は1年中で一番嫌いな季節で,ジメジメと蒸し暑く,**(書いたら怒られます・・・それでなくても過激に書くので嫌われていますが。しかし,大阪市長ほどの馬鹿ではない。思っていても,公人として言って良いことと悪いことがあるのだ!因みに,市長と思いは同じですが。)の腐ったような季節と万人から嫌われています。舳倉島遠征前から原因不明の発熱,突然の前立腺肥大に襲われ,遠征では睡眠を妨げられての体調悪化と,腰痛,背中痛,及び両足のくるぶし痛と満身創痍の状態です。この様な体調変化は季節の変わり目に起こりやすい様です。

 帰阪後は,疲れを癒すため毎日8〜10時間の睡眠と,毎日の整骨院通いで体を解しています。これにより,体の倦怠感は27日ぐらいからかなりましになったのですが,くるぶし痛が取れずに歩行困難となり整骨院通い(自転車には乗れるので,玄関前に自転車を置きエレベータで自転車毎下りて,整骨院に行くので殆ど歩きません。)以外は寝てばかりで,運動不足で体重が増えています。27日(月曜日)はプールの日なので,固くなった筋肉を柔らかくしようと3Fから階段を降りて駅に歩きかけたのですが,あまりのくるぶしの痛さに耐えかねず引き返しました。なぜ,この様にくるぶしが痛くなったのかNETで原因を調べてみると,「怖いこと」が書いてあるので病院行きを躊躇しています。

 今朝8時半前に病院友達(誰や?)からメールが入り,「手首骨折で手術をして入院中」とのことでした。病院は,私がいつも通っている総合病院なので自転車で20分ほどの距離です。家で寝てばかりいては気分が暗くなるので,昼からお見舞いに出かけました。いやはや,お互いに病院通いばかりで嫌になりますね。どちらが重傷でしょうか?私が勝っていると思うのですが・・・自慢になるかい!健康は貴重な財産だと,つくづく感じさせられた今年の梅雨入りです。
2013年5月27日(月) 舳倉島遠征6日目:最終日(20日)
 昨夜も食堂が喧しく,早朝から廊下を歩く音で熟睡できず疲労が蓄積です。とうとう,朝食前の散歩に行く気も起こらず,部屋でテレビを観ていました。7:30に今日の舳倉島航路の運航が決まり大阪に帰れると少し元気が出ました。そこで,荷物を片づけていつでも民宿を出られる状態にして置いて,8時過ぎに探鳥に出ました。シマアオジは16日に撮影したのですが,岩場なので背景が気に入らず撮り直そうと龍神池の側の岩場に行きました。カメラマンは誰もいないので近づいて撮影してやろうと,椅子に座ってシマアオジの飛来を待ちます。シマアオジはカワラヒワと行動を共にしているので,カワラヒワに注意です。
 その内にカメラマンが集まり初め,カーキー色の派手なジャンパーを着たカメラマンも側に来ました。非常識な野鳥を驚かす色のジャンパーなので,シマアオジは近くに来てくれません。一人で背景を選んで撮影するつもりだったのですが,人が集まってきたので不可能になりました。そして,この日は曇り空で風がきつく岩場に座っていると寒いのです。10時半になると寒さに耐えられなくなって,痛い脚や腰を庇いながら野鳥観察舎に移動です。

 野鳥観察舎も野鳥が殆ど居なく,8m道路の三叉路まで歩き餌付け場所でマミチャジナイ,カラアカハラが居るのを見ましたが撮影意欲無しです。昼食を摂り13時前になったので民宿に帰り,清算後に荷物をリヤカーに積んで港に行きました。乗船開始は14時なので公園で待っていると,13:40に乗船可能となったので船に乗りました。これで,大阪に帰れるのですが船が輪島港に着くのが16:30予定で,金沢行きバスの輪島駅発車時間が16:40となっており10分しか余裕がありません。その後のバスは,18:10発金沢行きがあるのですが,金沢着が20:17となっており,大阪行きの最終JR特急発車時刻が20:35となっており特急券の購入等を考えると時間がありません。特に,バスの時間は余り正確でないので・・・
 そこで,船が舳倉島を出る前にタクシー会社に電話を入れて,「金沢行き輪島駅発16:40のバスに乗りたいので,港まで向かえに来て欲しい。」と依頼しました。なお,これまでの遠征は車に乗せて貰っていたので,この様な綱渡りはしませんでした。

 船は定刻の15:00に対して5分前に舳倉島港を出発しました。帰路も比較的波が静で,七ツ島付近ではオオミズナキドリやアカエリヒレアシシギの群が船と併走したのですが,撮影する体力はありませんでした。船は輪島港に定刻の5分前の16:25に到着です。タクシーが港でトランクを開けて待ってくれていたので,いち早く下船して輪島駅に向かいました。船が5分早く港に付いたので,タクシーが輪島駅に着いたのは16:35でした。間に合いました!!尿意を催したので,タクシーが荷物を下ろしてくれているのを確認してトイレに行き帰ってくると3脚がありません。どうやらタクシーの運転手が下ろし忘れたようなので,タクシー会社に電話して宅配便で送って貰おうとしたら,乗ってきたタクシーに連絡を取って貰うと輪島駅の構内にいたので,バスが来る寸前に3脚を受け取ることが出来ました。ちょっとしたハプニングでした。

 金沢行きのバスは定刻の7分前の18:54金沢駅西口に到着したので,19:43発大阪行きの特急券を余裕を持って購入できました。列車は22:30に大阪駅に到着したのですが,疲労困憊のため大阪駅から自宅までタクシーで帰り,自宅到着は23時でした。

 今回の遠征は,出発前から体調不良であり,輪島や舳倉島では睡眠不足で非常に疲れて,少し歩くと椅子に座り込むほど体力が無くなっていました。そして,持病の腰痛や背中痛だけでなく,両足のふくらはぎが痛くなるハプニングがあり楽しい探鳥は出来ませんでした。未見の野鳥もチョウセンオオルリだけであり,例年通り3泊4日の舳倉島であれば,この鳥やヒメイソヒヨが撮影できず収穫のない舳倉島遠征となったでしょう。
 一応,来年度の民宿を予約してきましたが,今年のような体調なら遠征はないでしょう。そして,繊細な神経なので,鼾の喧しい人との同行は無いでしょう。なお,今回の遠征の総費用(自宅までのタクシー代や食事代を含む)は6.2万円程度であり,5泊6日の値打ちがあるかどうかは個人の感じ方次第です。
 来年も行く場合は,気を使う必要がない列車とバスの乗り継ぎで行く予定です。
2013年5月26日(日) 舳倉島遠征5日目(19日)
 昨日部屋を代わったが爺さんカメラマン達の騒音で寝付きが悪く,午前4時前から早朝探鳥のカメラマンが廊下をドタドタと歩くので目覚め,5時前からは朝食の準備で厨房が騒がしく睡眠を妨げられました。5日間連続の睡眠不足繊細な体は崩壊寸前です。それでも,痛いくるぶしを庇いながら朝食前に散歩したのですがどうも体調がおかしい
 7時過ぎに少しだけ朝食を食べ部屋に戻ると倦怠感と吐き気が始まりました。疲労困憊で体力的限界に達し布団に潜り込みました。とうとうダウンです。舳倉島遠征では,寒さと野鳥が居なくて昼食後に昼寝をしたことはあるのですが,朝食後寝込むのは初めてです。布団の中で鬱々としていると9時半頃になり,少し体力が回復したので出かけることにしました。

 10時前に野鳥観察舎に行くと野鳥カメラマンのMさん一人が居ました。「野鳥が少ないですね。」の舳倉島流挨拶を交わし,何か出てくるかと待ったのですが昨夕とうって変わってカシラダカしか出ません。そして,そこ残られたBWから「ヒメイソヒヨが出ている。」との話を聞いたのですが,Mさんからは「1昨年撮影されているのなら,行かない方が良い。出現場所が悪いので。」と言われたので,Mさんと野鳥観察舎に居残ります。次に,他のカメラマンが来られ「西海岸で夏羽の綺麗なカラシラサギが出ている。」との話があり,その画像を見られたMさんは撮影に行かれました。その場所はここから遠く,歩くのが辛いのと,水鳥なので珍鳥でもパスです。(コサギと嘴の色が違うだけでは魅力無し。)
 一人で野鳥観察舎にいると,別行動していた同行の人から「ヒメイソヒヨが餌付いたようだ。」との情報を頂く。

 どうしようかと暫く考えたが,この場所にずっと居ても珍しい野鳥は出そうにないので行くことにしました。ヒメイソヒヨ出現場所は龍神池を通り過ぎた北海岸側だと思っていたので島の外周道路を歩いたのですが場所が判りません。すれ違ったカメラマンにその場所を聞くと,「道路から柵の中に入って撮影している。」と教えられ,その場所に行けました。(写真の柵の中)(舳倉島では,殆どのカメラマンが野鳥情報を教えてくれます・・・中には,携帯に情報が入ると黙ってその場所に行く人も居ますが。)
 その場所では,舳倉島にいる全カメラマンが集まった様に思われ,遅れて来た私にはカメラをセットする場所がありません。松の木に邪魔されながら,松の枝止まりのヒメイソヒヨを撮影することが出来てヤレヤレでした。(是非とも撮影したいとは思わなかったが,私だけが撮影できないのは悔しい?)
 その内に,背景を気にせず,ヒメイソヒヨだけが撮影できれば満足するカメラマンが場所を空けてくれたので正面にカメラをセット出来ました。

 その場所でも大阪城と同様に仕切って餌付けしているカメラマン4名(舳倉島で良く顔を見かける人達)ほどが,松の木の手前の草むらに発泡スチロールを敷いて,その上に多量の餌を蒔いていました。ヒメイソヒヨを呼び出すための餌であり,最終的には手前の岩に止まらせるつもりだったのです。そこでは,青色が薄いオオルリが頻繁に姿を見せ餌を食べるのですが,そのオオルリを見て誰かが「チョウセンオオルリ」と聞いたことのない名前を呼んでいました。「そんなオオルリなんか居るか!」と思いながらも,見たことがない色なので撮影して,帰宅後調べるとチョウセンオオルリが居ました。私が知らなかっただけのようでした。
 ヒメイソヒヨは松林の中に隠れており,オオルリが餌を食べに来ると威嚇するように姿を見せるので,その時が撮影のチャンスです。その内にMさんも来られ,ヒメイソヒヨが岩に止まりやすい様に細工します。今日は15時から雨の天気予報となっていたのですが,12時を過ぎた頃からポツポツ雨が降り出し,多くのカメラマンは松の木止まりのヒメイソヒヨを撮影したので撤収を始めました。私は,岩に止まった背景の抜けたヒメイソヒヨが欲しく傘をさしながら待ちました。雨が降るとヌカカの攻撃が激しくなり,首や胸,脚を刺されました。
 ヌカカの攻撃に耐えながら1時間ほど待つと,やってヒメイソヒヨが岩に止まったので撮影して13:45撤収しました。

 雨が止みそうになく,カメラを担いで民宿に戻ろうとするのですが右足だけでなく,左足のくるぶしまでが痛くなってきて歩行困難です。両足を引きずりながら歩くので疲れて,民宿まで歩くことが出来ず椅子を出して屡々座り込みます。軽量の撮影機材を担いで,これぐらいの距離が歩けなくなっては「もう舳倉島遠征は無理だ!!」と思いながら,14:30やっと宿に到着です。
 雨が降っているので撮影を止めた人が早々に民宿に戻っており,体を休めるために入浴しようとしたら5人待ちとなっていました。
2013年5月25日(土) 舳倉島遠征4日目(18日)
 寒さはましになったのだが,前夜同様に鼾と夜間頻尿熟睡できず4日目にして疲労困憊であった。そして,脚のふくらはぎの痛さは曳かず歩くのもぴっこを引きながら痛さを我慢して朝の散歩をしました。朝食後にも,撮影したい野鳥情報もないのですが民宿に籠もっていても仕方がないので出かけることにしました。公園の横を通るとハチジョウツグミが居着いており,殆ど警戒心がありません。昨日のシマゴマ撮影が不満足だったので,撮影し直しをする事にしたのですが愛想が悪く20分に1回程度姿を見せ,直ぐに隠れてしまいます。
 まともに撮影できないので,「つかさ」の前の簡易水場で椅子を出して座り込み,じっくり撮影しようと考えました。(脚や腰が痛く歩くのが辛い,寝不足で体が怠く歩くと非常に疲れて座り込みたくなる。)しかし,昨日と打って変わって野鳥の数は少なくなり,時々降りてくるニュウナイスズメやシメと遊ぶだけでした。
 やがて,東海岸の恵比寿神社近くてノゴマがいたとの情報で行ってみたのですが見つけられず,北海岸,龍神池を見て野鳥観察舎まで行きましたがカシラダカ,センダイムシクイ,サメビタキ,キビタキ,イカル,シロハラだけで寂しいものです。

 今まで撮影したことのないジュウイチが撮影したく島を横断する8m道路を歩きますが,鳴かないジュウイチなので見つけられずシラスナ遺跡の近くで昼食を摂った後は体が怠く眠いのでジャンパーを道に敷き寝てしまうほど,疲れと鳥が居ない退屈さでやる気が無くなりました。30分近く横になっていたのですが炎天下で暑いので8m道路の三叉路まで行き餌付け場所でマミチャジナイ,カラアカハラ,ノゴマを撮影して時間を潰しました。

 15時前なり,このまま民宿に帰るのは早いので何か新しい野鳥が入っていないか野鳥観察舎によりました。するとなんと言うことでしょう,昼前に静だった水場に野鳥が乱舞して居るではないですか。ムギマキとキビタキが追いかけ合いをして飛び回っており,マミジロ,カシラダカ,アカハラがゴソゴソと出てきます。センダイムシクイ,マヒワ,何と舳倉島では珍しいヤマガラも姿を見せます。あっ!カラアカハラだ,シマゴマだ,メジロが来たが誰かが「チョウセンメジロ!」と叫んでいる。(これはウソだった)16時前まで,色んな野鳥が姿を見せボキャブラリーに乏しい私には適切な状況描写を行えませんが,目をつぶってシャッターを切っても何かの野鳥が撮影できる状態でした。(大阪城で野鳥乱舞や爆発という表現と同じ異常な人心を惑わす誇張ですね。)そして,スゴイのがヌカカの攻撃で舳倉島でのヌカカ名所の野鳥観察舎では夕方になると大群が人間を襲います。今年は,虫除けウエットティッシュ装着式のファマキラーベープを装備して,おまけにスプレーでも保護したのですが数カ所刺されました。恐るべきヌカカでした

 右足のふくらはぎ痛を我慢して歩くと,歩く体勢がおかしくなり腰痛まで酷くなります。そして,椅子を出して座り込みます。必死の思いで民宿まで帰りました。今日の船でかなりのカメラマンが離島したので,部屋がたこ部屋?から母屋の4畳半に変更となりました。その部屋の左隣は食堂で騒がしく,廊下を挟んで向かえ側は厨房で騒がしいのです。トイレまでは近くなったのですが,環境的には騒がしい部屋です。体が限界に達しているので,入浴順番を確保して入浴後に「鳥も少ないし,もう帰りたい!」と弱気になってきました。今まで,船の欠航がなければ舳倉島では3泊4日が通常なのですが,今回は往路での船の欠航考慮して4泊としたのが裏目でした。
 早く寝ようと8時半に消灯したのですが,食堂では爺さんカメラマン6人ぐらいが酒を飲みながら大声でくだらない話しをしている(本当に腹が立った)ので,喧しくて眠れません。また,厨房では夕食の後かたづけで騒がしく,廊下をバタバタと歩く足音でも寝付けません。結局食堂が静になったのは22時前でした。
2013年5月24日(金) 舳倉島遠征3日目(17日)
 昨夜は余りに寒いので暖房を入れて寝ました。相部屋の場合は,大概鼾が気になり寝付きが悪く睡眠不足となるのでホテルの場合には必ず一人で泊まります。民宿の相部屋に泊まったのは舳倉島遠征時が始めてで,初回は知りあいばかりの5人部屋だったのですが,一人の方の尋常でない鼾の大きさに悩まされました。鼾をかく本人は無意識だと思うのですが,同室の他の人の迷惑具合は考えないのでしょうか?私外の同室者も「もうあいつとは一緒に来ない。」と立腹されたのでした。これ以降,その方との同室は辞退して,ここ5年間は少人数の2名で遠征をしていました。昨年同行の方もスゴイ鼾で悩まされたのですが,大きな鼾をかく人の特長は寝付きが非常に早く(1分以内),夜通し鼾をかくことです。普通の人は,横向きになると鼾は弱まるのですが,体勢に関係ない人は鼻が潰れているのでしょう。
 鼾で眠れないのに,前立腺肥大で頻繁に尿意を催すので,起きて非常に寒い夜中に母屋の方のトイレに行きます。帰ってくると,完全に体が冷え切り眠気が飛んでしまうので,益々寝付けません。これを繰り返している内に,午前4時頃になると同室の方が起きて早朝探鳥のための準備を始めたので眠れません。これだから同室は否なのです。
 5名の方が早朝探鳥に出かけた後で,6時前まで布団の中にいたのですが眠れません。そこで,洗面して朝の探鳥に出かけたのですが,この民宿でこの時間まで部屋にいたのは我々2名だけでした。

 朝食後には,殆ど毎年のように出逢うシマゴマ撮影のために「つかさ」の裏の篠竹の小道に行き出かけて撮影しました。ついでに,「つかさ」の裏の無線信号所近くの餌付け場所で何か居ないかと餌を置くと,直ぐにカラアカハラが姿を見せました。今年の2月に岡山まで愛想の悪いカラアカハラを撮影に行ったのが馬鹿らしくなりました。これが舳倉島ですね
 次に,野鳥撮影がし易い「つかさ」の前の簡易水場に行くと野鳥写真家のMさんが野鳥に近づきローアングルで撮影(地上の野鳥撮影では定石)されていたので,側に行き何を撮影しているのかお聞きすると,「座って撮影していると野鳥は近くに来てくれます。ここでは,コホウアカ,キマユホオジロ,マミジロ,シベリアアオジ,ニューナイスズメ,アトリ,シメ,アオジ,カワラヒワ等が来ます。」と教えてくれました。Mさんの機材は604+1DMK4に対して私は456+7Dとかなり見劣りするのですが,横に並んで撮影です。なお,舳倉島で一番多いレンズは504,次いで604,328と8割以上がこのレンズです。私も元気なら504でしたが。(同行の方は604でした。)
 暫く撮影すると,私の近くの木で小さな鳴き声がしました。するとMさんは「キマユムシクイが入ったようです。」と私に教えてくれました。目も耳も悪く野鳥探しが下手な私の撮影野鳥数は少ないのですが,Mさんのような方と一緒ならもっと増えるでしょう。

 野鳥の出が悪くなったので「つかさ」に行ってお茶をよばれて,女将さんに「来年は5月12日から14日まで3泊,4名で予約しておきます。」とメモを残してきました。そして,島を横断する8m道路に行くと大泉緑地のHさんから「ジュウイチを撮影した。」と画像を見せられ,「カッコウも撮影したで。」でと言われたので競争心が湧きました。先ずは,カッコウ出現場所に行くと草むらに潜り込んでいるようなので,昼食を摂りながら待っていると突然柵に止まりました。カッコウは30分近く柵に止まったままなので簡単に撮影できましたが,背景が悪かったです。
 次に,ジュウイチ出現場所で待ったのですが姿を見せず,本日来島された鶴見のKさんから「そこに赤色型のホトトギスが止まっていたので撮影した。」と画像を見せられたので,その場所に行きましたが飛んだ後でした。13時ぐらいから右足のふくらはぎが痛くなり(腓返りの後のような感じ),歩くのが辛いのと小鳥の数が極端に少ないので,唯一愛想の良いマミジロとムギマキを撮影して15時に民宿「つき」に戻りました。右足のふくらはぎが痛くなったのは腰を庇いながら歩いたのが原因でしょうか。

 この日は晴天なので,15時倉に民宿に帰るカメラマンは居なく一番風呂に入りました。そして,痛いふくらはぎに湿布薬を貼り安静にしていました。
 この日の消灯も21時を過ぎており,眠れない夜を過ごすのでした。
2013年5月23日(木) 舳倉島遠征2日目(16日)
 昨夜は夕食に食べた焼き鯖の巻き寿司が少し辛く,お茶を飲み過ぎたのと前立腺肥大で頻繁に尿意を催し熟睡できません。また,ベッドが柔らかすぎたのも原因か頻繁に目を覚まし熟睡できず,5時過ぎからテレビを観る羽目になりました。当然,寝不足なので体が怠く気持ちが悪いのです。それでも,7時にホテルの無料の簡易朝食(食パン,普通のパン,ジュース,牛乳,コーヒは飲み放題・・・玉子やベーコン等を食べられない私向きの朝食です。)を摂り,部屋を片づけてチェックアウトのためにフロントに行きます。7時半になったので「へぐら航路株式会社」に電話を入れ,この日は運航が決定したのを確認後にチェックアウトとタクシーを呼んで貰いました。(もし,欠航なら連泊する予定でした。)10回目の訪島でも,往路での船の欠航の憂き目に合わず,欠航率から言えば神業に近い快挙?です。なお,舳倉島航路は,13日と15日は欠航していました。

 7:45に「へぐら航路」の切符売り場に到着して,タクシーを待たせて往復乗船券を購入していると,大泉緑地のHさんを初め10名のカメラマンが居ました。昨日,訪島予定と聞いていたので欠航の憂き目に合われたのでした。荷物が重いのでタクシーで船乗り場の港まで乗り付けると,I先生家族(3名)が居られ,今日の船は知りあいが多かったのです。
 そして,例年舳倉島で顔を合わせる野鳥写真家のMさん(「日本の野鳥590」のカメラマン・・・気さくな人です。)も乗船されてきました。

 舳倉島航路は輪島で風が弱くても揺れることが多く,今日は寝不足で船酔い以前に気分が悪かったので「船酔い防止薬」を何十年ぶりに飲みました。小学校時代に,帰郷の際に1時間以上悪路を走るバスに乗ると,乗り物酔いを起こすので薬を飲んだことがあるのですが,かえって酷く酔った経験があります。それでも,これ以上気持ちが悪くなると耐えきれないので今日は薬を飲んだのでした。
 船はいつものように,定刻9時の5分前に輪島港を出て舳倉島に向かいます。予想外で,今日の船は余り揺れなかったのですが,同行された初訪島の方は船酔いで気分が悪くなられていました。

 定刻より5分遅れの10:35に船は舳倉島到着です。早速,荷物を下ろしリヤカーに積んでいると,昨日輪島へのバスの中で電話を頂き「港に迎えに行き,野鳥情報を教える。」と連絡を頂いた,兵庫県のHさんが居られました。10日から訪島されていたHさんからは「野鳥は日に日に減っている。昨日沢山居たトケン類も殆ど居なくなった。シマアオジが龍神池の側の岩場に居る。」との情報を頂きました。リヤカーを引き初めて泊まる民宿「つき」に向かっていると,公園の近くの路上に異常に赤い(うす茶色)ハチジョウツグミが居たので撮影しようと考えたのですが,Hさんから「公園と校庭の何れかに常に居る。」と言われたので民宿に向かいました。初めての民宿なので何処だろうと探していると,今年も先に来られている交野のKさんに出逢い,連れて行って貰うことにしました。

 民宿「つき」に到着して,荷物を置くために部屋を教えて貰うと離れの大部屋でした。その部屋はKさんも泊まっており,10人部屋で殆ど布団同士が付くように2列に並べることが出来る部屋で,風呂もトイレもなく汚い洗面所があるだけです。まるで,工事現場のたこ部屋を連想(泊まったことはないが)させる寝るためだけの部屋であり,ショックを受け一変にやる気が無くなりました。今日は5人の方が帰られ,我々2名が泊まるので布団の間隔は少し確保できます。

 落胆していても仕方がないので,カメラをセットして野鳥撮影に出かけました。11:16に校庭を通るとアマサギが居たので初撮影で,野鳥写真家のMさんがマヒワを撮影されていたので私も撮影です。マヒワは渡ってきたばかりなのか,校庭の草に群で止まっており網ですくえそうな状態です。流石は舳倉島。校庭の横の竹藪に赤いハチジョウツグミが居たので,背景が悪かったのですが抜けると困るので押さえておきました。
 次は,野鳥観察舎に行くと,野鳥の出が悪いのかカメラマンは居らず,暫く様子を見ているとコサメビタキ,カシラダカ(当初,シロハラホオジロの雌と思っていたが冠羽があったので),ツグミが居ただけでした。そこで,教えて頂いた龍神池の側の岩場に行くとシマアオジが居ましたが,背景が岩で良くありません。少しでも,近くて良い場所に来ないかと待ったのですが,この場所は寒くて震えが来るので移動です。
 次は,島を横断する8m道路の野鳥銀座?に行くとカキドオシの花絡みでマミジロが,篠竹を倒して作った餌付け場所ではマミチャジナイに混じって,時々カラアカハラが出ました。この場所で1.5時間ほど撮影すると飽きてきたのと,寒いので民宿に帰ることにして公園の側を通ると例のハチジョウツグミが居たので撮影して,16時に本日の撮影は終了しました。なお,公園に居ると民宿「つかさ」の女将さんが自転車で通られ,私が「つかさ」に泊まれなかったことで「すみませんでした。」と謝られました。4名の宿泊では1年前に予約しておかないと駄目なようです。特に,「つかさ」は人気があるので。そして,「つかさ」なら個室が貰えるのにと・・・・トホホホ。

 寒いので風呂に入ろうと考えたのですが,この民宿では風呂は1箇所(母屋だけ)しかなく,既に10名近くが風呂の順番を取っており面倒くさくなったので風呂は止めました。この民宿では25名以上の泊まり客が居り,1人10分の入浴時間としても4時間以上の時間を要します。10人部屋は火の気が無く寒いので布団を敷き潜り込みましたが,未だ寒いので5月半ばを過ぎたのに部屋に暖房を入れました。18時から夕食を摂り,早く寝ようとしたのですが7人もいると行動はまちまちで,消灯されたのは21時を過ぎていました。そして,私は寝付きが悪く,早速鼾の合唱が聞こえてきます。 
2013年5月22日(水) 舳倉島遠征1日目(15日)
 今日は輪島まで出て,翌日9時の舳倉島航路に乗るための前泊まり移動日です。これまでの9回の遠征は,初めの3回は宿の予約や行程まで決めて頂ただき車で連れて頂いて自主性は全くありませんでした。その後の6回は宿の手配や行程を自分で決めたのですが,車に乗せていって頂いてたので気を使っていました。(遠慮,弱み?
 今回も車に乗せて貰う予定でしたが,舳倉島遠征の考え方の相違から初めて電車で行くことになりました。大学時代から旅行が好きで,その行程は自分で考えるのが常でした。(他人を信用しない?)石橋を叩いて渡らないほどの慎重な性格から,乗り換え等でイライラするのは大嫌いなので余裕も持った行程となりました。

 昨日までの体調は完全に直っておらず,起床後も気持ちが悪いのです。最悪を考えて,同行の方に遠征中止の連絡を入れなければならないと考えていたのですが,遠征に誘った私が中止するわけにも行かず無理をして出かけることにしました。先ず,大阪駅発11:42のサンダーバードで金沢に向かいます。体調が悪いときに電車に乗ると気分が悪くなる(乗り物酔い?)事が多いので,余裕を持って家を出て家内(身体障害者)に大阪駅まで同行して貰いました。
 危惧していた体調変化は起こらず,大阪駅に発車時間の30分以上前に到着してヤレヤレでした。2時間40分ほどの乗車時間になるのですが,これ程長時間の電車移動は約4年ぶりです。定刻通り14:22に電車は金沢駅に到着しました。輪島への特急バスは14:35に発車するので乗り換えは可能なのですが,乗車券の購入等でイライラするのは嫌なので次の15:35発のバスに乗ることにしました。輪島に行く特急バスは,概ね1時間に1本出ているので便利です。

 バス待ちの間に,輪島では飲食店が少なく,時に今年は車で移動できないので駅構内のコンビニで今夜の夕食と翌日の昼食を購入しました。次はバスの乗車券ですが,帰路の輪島発金沢行きの乗り換え時間が少ないので往復乗車券を購入しておくことにしました。しかし,切符販売所で4枚綴りの回数券を発売していることが判り,今回は2名でバスに乗るので丁度良い切符です。通常は片道2200円の運賃なのですが,回数券を購入すると片道1500円となり,往復で1400円の得?となります。
 次に,バスの乗車時間が2時間少しあり,前立腺肥大でトイレの心配をしていたのですが途中でトイレ休憩があるので安心でした。そして,5泊6日の野鳥遠征時には予備カメラやレンズ,着替え等を入れるために荷物が大きくなり旅行用の車輪付きバックを引いており,それをバス内に持ち込むのは嫌だったのですがトランクルームがあるバスなので楽です。因みに,体調を考慮して今回の遠征でのメインレンズは軽量の400mmF5.6の単焦点レンズとしました。(504→328→456と体調に合わせて,レンズを軽くしています。)

 バスはほぼ予定通りの17:35に輪島前駅に到着です。今夜のホテルは,ここから徒歩5分足らずのホテルメルカート輪島をNET予約していました。昨年は新しくできたホテル ルートイン輪島(バイキング朝食付きで6500円)に泊まったのですが,ホテルの外観ほど部屋は綺麗でなくベッドも狭いのとバス停から遠いので止めました。ホテルメルカート輪島はシングルルームで,簡易朝食付きで5800円と安かったのです。そして,部屋のキーを貰い部屋にはいると大きなベッドが置かれたツインルームで,応接セットも付いています。また,部屋は綺麗で清潔で,ないより良いのはバストイレ付きの部屋だったのですが,ホテル内にサウナ付き大浴場があり,気持ちの良い風呂だったので益々気に入りました。

 風呂から上がり,金沢駅のコンビニで購入した夕食を食べ早々に寝ようとしたのですが,失敗でした。夕食に少し変わったものを食べようと,焼き鯖の巻き寿司を購入して美味しく食べたのですが,塩味が少しきつかったので喉が渇きお茶ばかり飲みました。

 思い出しながら日記を書いたのですが,14日のように記憶が飛ぶことが無く安心しました。
2013年5月21日(火) 帰ってきました
 昨夜23時頃舳倉島から帰阪しました。5泊6日(輪島の前泊まり1泊)の野鳥撮影遠征だったのですが,出発前日からの体調不良(しんどい)と腰痛及び背中痛が危惧したとおりに発生して,ヘトヘトになっての帰阪でした。帰宅後に夕食を摂り,入浴後に暑くて(舳倉島は寒かった)眠られず就寝したのは午前1時を過ぎていました。疲れ切っていたのですが,夜間頻尿は相変わらず2時間毎にトイレに起きました。
 7時過ぎに枕元に置いていた携帯が鳴りました。この時間に誰だろうと,画面を見ても登録していない番号です。通話状態にすると「Yやけども,まだ舳倉島に居るのん?」と挨拶もない早朝からの非常識な電話です。頭に来たので私は「昨夜帰ってきました。眠たい!」と言うと,黙って電話を切られました。舳倉島に出かけるので野鳥出現情報が欲しかったのでしょうが,その電話に腹が立って目覚めてしまいました。Yさん(油屋の方が一般的)とは余り親しくなく,どちらか言えば苦手な人種です。野鳥撮影を始めて9年目となり,これまで感じていたことですが野鳥撮影を行っている人のかなり多くは,私がそれまで居た環境(どんな環境や?論理的に物事を考える紳士が多かった)とは違う人種であり,目つきが下品で**な人であった。多分,血眼になり野鳥を追い回すので,目つきが異常になったのでしょう。目は心の窓ですからね。
 因みに,舳倉島でもこの様な人種が多く来ており,悩まされました。

 早朝から起こされて,寝不足で体が怠いのに眠られず夕方から整骨院に行き体を解しに行きました。「体中がカチカチですね。」と言われましたが,その通りで腰痛,背中痛に追加で腰を庇って歩いたためか両足のふくらはぎが痛く,両手まで痛くなって力が入りません。そして,非常に喉が渇きお茶やコーヒばかり飲んでいるので,トイレばかり行きます。体が壊れたようです。

 明日からは,舳倉島遠征日記に書けない「気まぐれ流」日記を書いていきます。
2013年5月14日(火) ショック!
 昨夜,夕食後に本日貰った病院や薬局の領収書を仕舞っておこうと探したのだが医療センターの領収書が見あたらないのです。ズボンの後ろポケットに仕舞い,何かの弾みで落としたのだろうと諦めました。そして,12時過ぎに就寝して,相変わらずの頻尿で4時半頃に2回目のトイレに行ったのですが,その後寝付けません。そうすると,領収書のことが気になり始めました。本当に落としたのか,ひょっとすると会計を済まさずに病院を出てしまったのではないかと考え始めました。そこで,朝起きてから15時過ぎに帰宅するまでの行動を思い起こしました。すると,自転車に撮影機材を積んでエレベータに乗ってから,大阪城の飛騨の森に入るまでの約3時間の記憶のかなりの部分が消えており思い出すことが出来ないのです。これまで,この様に記憶が消えてしまった経験が無くショックが大きいので,何故だろうと考え始めると益々寝付けません。嫌いな呆けが始まったのかと自分自身が情け無くなりました。常々,この日記でも呆けについて書いており,呆けるのは自己責任だと考えています。因みに,父(92歳で亡くなった)や母は90歳を過ぎても呆けてはおらず,呆けると家族に迷惑を掛けると自己努力しているのを見ているからです。とうとう,6時を過ぎても寝付けないので考えるのを止めテレビを見ることにしました。

 テレビを見ていると8時過ぎに携帯が鳴り,「飛騨の森(大阪城)の入口のトイレの側にサンコウチョウが出ている。」との情報を頂きました。「有り難うございます。」と電話を切りましたが,寝不足で体が怠く頭痛もしているので撮影に行くべきかと考えました。昨日,飛騨の森入口(愛の森)のハリエンジュの開花状況を見に行くと,花はかなり落花しており見頃を完全に過ぎていたのを思い出しました。サンコウチョウは初めての撮影でもなく以前より綺麗な背景での撮影は不可能と考え,情報を頂いた方には申し訳ないのですが,明日の舳倉島遠征を控えて休養することにしました。以前よりも綺麗に撮影する努力もせず,自分の画像の酷さを考える能力が無いのか,毎年サンちゃん,サンちゃんとサンコウチョウを追い求めている人は呆け症状が出ていると診断するのですが。

 電話が終わった後で少し寝ようとテレビを消して暫くすると,軽い腹痛が起こり便意を催しました。普通はこの様なことは起こらず,不思議な現象の始まりです。排便後に,朝食を摂ろうと家内にトーストとコーヒを頼み,毎日飲んでいる高血圧,利尿,糖尿の薬を飲み,昨日貰った前立腺の薬を飲もうとしたら急に気持ちが悪くなり,嘔吐しそうなので慌ててトイレに駆け込みました。吐こうとするのですが吐けず,暫くトイレに座り込んでいると直ってきたので布団に戻り,頭がガンガンして倦怠感があるので朝食を摂らずに眠ることにしました。
 少し寝て10時前に目覚めたので,朝食を食べ前立腺の薬を飲んで,頭痛が残っているのと体が怠いので布団に寝てテレビを見ていました。
 
 12時前に昼食を摂り,遠征の荷造りの準備を始めると,再度気持ちが悪くなり目眩がして寝込んでしまいました。こんな体調で,明日からの離島遠征に行けるのだろうか。何故,前立腺肥大を初め,頭痛,吐き気,目眩等が急に起こったのだろうと色々考え始めました。暫く眠ると15時前に暑さで目覚めました。羽毛布団で寝ており,それが暑かったからか寝汗をかいていました。(今日の大阪は30℃越えの真夏日でした。)体調は少し良くなったのですが,体が怠いので夕方まで横になっており,体調悪化の原因を考えると,「昨夜から飲み始めた前立腺の薬がきつすぎるのでは?」と考え初め,薬局で貰った服用薬品カードの注意事項を読んでみると,私の症状に似た副作用の可能性が書かれていました。そこで,NETでその薬の副作用の詳細を調べてみると,私の症状にぴったりなのです。そこで,昨日一緒に病院と大阪城に行った病院友達(同じ薬を飲まれています。)に電話で確認すると,副作用は無いそうですが,かなりきつい薬だと判りました。
 私の排尿困難もかなり改善されてきたので,この薬の量を半分にして体調を見てみることにしました。

 夜,遠征準備のためカメラバックを見ていると病院の領収書が出てきました。病院友達も私が支払いを行っていたのを見られていたので,単に記憶が消えてしまった(何度も通っている病院なので,支払いも慣れてしまい日常的に行っている行為で記憶に残らない)のでしょう。因みに,この日記も呆け防止の意味も込めて日常と少し変わった出来事を記録しており,過去の日記を読み返してみれば呆けの有無が判断できます。
 なお,自己確認できる呆けテストは,3日前に遡って夕食のメニューを思い出せる人は呆けでないそうで,私は1日しか遡れません。私は????

 明日の日記が更新されていれば,体調不良で舳倉島遠征は中止になったことを示しています。ヤイロチョウが撮影したい!!!
2013年5月13日(月) 病院へ
 日曜日にも多少熱があったので2日連続殆ど寝ていました。お陰で,昨夜は寝付きが悪く,排尿障害はあるものの2時間毎にトイレに起きる夜間頻尿となり7時過ぎに起きてしまいました。熱を計ると体温は36.4℃と平温に下がっており,1時間毎の異常な尿意も治まっていたので医療センターの泌尿器科に行くのが嫌になりました。私は,現在病院通いばかりしていますが,元来病院は大嫌い怖い!)ので若い頃は何年も健康保険を使用せず粗品を何度も貰ったものでした。
 今日は病院友達?と医療センターで9:30に合う約束をしていたので,「今日は行かない。」と断りの電話を入れたとろろ,「行った方が良い。」と背中を押されたので,行くことにしました。(決断力の希薄さがにじみ出ています。

 9時過ぎに病院に着き泌尿器科の受付(2F)に行きます。この病院では予約が原則なので,飛び込み(予約外)受診の私は,いつ診察して貰えるか判りません。先ずは診察受付をして貰うための番号札を貰い,15分ほど待たされた後に「いつもS医師(泌尿器科部長)に診察して貰っており,次の予約は8月初めなのですが土曜日から体調が悪くなった。」,「S医師からは,体調が悪ければいつでも来て下さいと言われている。」と受付に説明しました。こうしないと,泌尿器科医は3名いるので誰に当たるか判らないのです。
 受付嬢からは「予約患者が沢山居られるので,診察は遅くなると思います。」と予想通りの返事なので,遅くても午前中には終わるだろうと,病院友達が居られる1F待合いに降りて少し喋っていました。この病院では診察順が近づいてくるとモニターに受付番号が出るのですが,私の座っていた場所からモニターが見づらいので場所を移動して見てみると,何と!私の受付番番号が2番目の診察と表示されていたので,慌てて診察室の前まで行きました。今日は飛び込み受診なのに何故このように早く診察順が廻ってきたかは,過去にこの日記を読まれた方なら判るはずです。受付にはS医師との関係を私は行っていませんのでS医師が私の名前を見つけてくれたのでしょう。(いつもは特別診察を受けていますから。)

 直ぐに診察室に呼ばれ,「どうされましたか?」の質問に対して12日の日記のような前立腺肥大による排尿障害を説明しました。病院の電子カルテには私の腎臓のCT画像,エコー画像,血液検査結果があるのでそれを見て,前立腺肥大に伴う症状低減,炎症を抑える,最近を殺し感染症を治す薬の処方箋をくれました。5種類の薬を処方されたのですが,2週間分で3,700円でした。なお,発熱を訴えたことから炎症が発生していると判断されたようです。そして,当然私が腎不全であることを考慮され薬を選んで貰いました。

 私が診察が終わると,病院友達も診察が終わっていたので薬局で薬を購入後に大阪城に出かけました。お互いに,病院まで撮影機材を担いで来ていたのです。
 大阪城ではサンコウチョウを初めめぼしい野鳥が居らず,知りあいのカメラマンと喋るだけで時間を費やし,帰宅したのは15時過ぎでした。今日は今年一番の27℃を越える暑い日であり,前立腺肥大で頻尿に悩んでいる私はこの暑さで腎臓の働きが悪くなり,10時にトイレに行ってから16時前まで尿意を催さないのです。腎臓が悪くて,尿が作れないからです。多分今夜の夜間頻尿は多いでしょう。(寝ている間に腎臓が働き尿を作るから。)健全者には判らない辛い症状です。でも,私より酷い病気に悩んで居られる方も居られますよね。

 16時過ぎから鍼灸院に行って,腰と背中を解します。そして,帰路の17:30に内科医院に立ち寄り,舳倉島遠征時に無くなってしまう尿酸値とコレステロールを下げる薬を貰うため診察を受けました。その時,12日の発熱の話をすると,「多分風邪でしょう。」と喉を調べて,「風邪に間違いありません。薬を出しておきましょう。」と医師は言ったので,私は「薬は結構です。」と断りました。S医師と見解が違うのと,これ以上薬は飲みたくありません。そして,内科医院の支払いは7,300円でした。今日も医療費で1日1万円を超えました。
 因みに,現在常用している薬の種類は14種類で,朝昼晩と飲んでいます。薬漬けの私の体はいつまで保つのでしょうか?
2013年5月12日(日) 大変だ!!!
 昨日も雨が止んだ昼前に整形外科に行ってリハビリです。リハビリ中にどうも体調がおかしく,気分が悪くなってきました。それでも,家内から頼まれた特価品(オロナミンC・・・498円/10本)を買いにスーパーに立ち寄り,ついでに舳倉島遠征時のおやつを購入しました。その途中で,益々体調が悪くなり,寒気がして節々が痛くなり倒れそうです。何とか,必至に自宅にたどり着き布団に潜り込みました。かなり体が熱いので,熱があるのだろうと体温計を取り出し,体温測定をしようとしたのですが運悪く電池切れでした。水銀電池なので買い置きはなく,そのまま寝ることにしました。高等動物である?は発熱に弱く,昼食を食べる気力も湧かず,喉が渇くので冷たいお茶ばかり飲んでいました。
 この症状は風邪引きに似ているのですが,原因は不明です。そして,10日の夜から突然,前立腺がかなり肥大したらしく排尿が困難になりました。1時間毎ぐらいに,非常に尿意を催しトイレに行くのですが,チョロチョロとしか出ず残尿感が残ります。この様な症状は20年以上前にも起こり,投薬で治療した経験がありますが,高齢の男性であれば多かれ少なかれ経験する病で完治は難しいようです。定期的に泌尿器科に通っていますが,少し前立腺が腫れていますとの診断が出ており,夜間頻尿の原因もこれが影響しています。

 15日から舳倉島遠征に行くのに,発熱や前立腺肥大が出て大変です。家内に体温計の電池を購入してきて貰い,今日昼前に体温を測ると一晩で体温が下がったようで37.7℃と多少高い程度でした。昨夜,風邪薬を飲んで寝たのが効いたのでしょうか,昨日ほどしんどくはありません。しかし,前立腺肥大による排尿障害は続いており,1時間毎に我慢できないほど尿意を催すのに,今回の遠征では金沢から輪島まで2時間10分ほどバスに乗る必要があります。普通のバスなのでトイレは付いていません。大変だ!困った!これも,車で行けない弊害が出ました。腰痛と背中痛に加えて前立腺肥大や異常発熱が出る体調は年々悪くなってくるようです。明日は医療センターの泌尿器科の飛び込み受診を行う予定です。

 10日記で野鳥を追い回すことで有名な大阪の女性を舳倉島まで連れて行った事に対して「誰や!こんな奴を連れていくのは!」と書いたら,その人物が判りました。今回の遠征の私の同行者が2月頃から,その人物(車を出す兵庫県の人)に一緒に連れて行って欲しいとお願いしていたのだが,急遽追廻の女性を連れていくので車に乗れないと言われたそうで,ご立腹でした。その車には男性4名とかの女が乗るそうで,運転手以外の3名の男性はその女を嫌っている,正常な人間とのことです。しかし,車を出す人の権限は強いので諦めたそうですが,嫌いな人との行動は嫌でしょうね。

 舳倉島情報です。11日にはシマノジコ(これで3年連続出ています。私も2年前に撮影して4日目にやっと背景が抜けた画像を撮影できました。この時は,一人で椅子に座って辛抱強く待った成果です。),シマアオジ,シロハラホオジロ,キマユホオジロそして昨年同様にチャバラアカゲラが11日の夕方に入ったようです。16日まで居着いてくれればよいのですが,昨年同様に追い回しているのでしょうね。
2013年5月10日(金) 遠征準備
 15日に舳倉島に出発遠征なのだが腰と背中痛が酷い。何とか遠征までに楽にしようと,殆ど毎日のように整形外科のリハビリ整骨院通いを繰り返しているが改善の兆候が見られない。ソロソロ限界かも知れず,手術は怖い!
 今日も朝から整骨院に行き背中と腰を解し,その帰路にドラッグストアーに立ち寄りました。買いたかったのは,これまで舳倉島で毎年油断からヌカカ(糠蚊)に刺されて,その痒さで眠れぬ夜を過ごし,帰宅後も半月程度痒さで悩まされていました。史上最強の蚊と思うほど,刺されると痒みはスゴイです。今まで,スプレー式の虫除け(ムヒ虫除け)を持参して使用していたのですが,スプレーのかけ忘れや,長時間で効果が薄れたり,汗で流れたりで蚊に刺されていました。
 ドラッグストアーで虫除けウエットティッシュ(効果が強いと教えて貰った塗るタイプの虫除け)と装着式のファマキラーベープを購入して二重防護の体勢をとることにしました。そして,昼食後に京橋まで15日の大阪〜金沢の乗車券と特急券を買いに出かけました。「みどりの窓口」に行くのは働くのを止めてから始めてで約4年ぶりです。窓口では係員が2名で対応しており,私の前に6名が並んでいました。しかし,前の2名はお年寄り?(私より若いと思うが)なのか,東京から乗り継いで何処かに行くらしく係員に列車を全て決めて貰っています。遅々として,その対応が長引いているので待っているとイライラします。「自分の行程ぐらいは事前に時刻表やNETで調べて列車を決めてきたら。」と思うのですが,これも高齢化社会の現象なのでしょうね。いらちの性格は未だに直っていません。
 やっと私の番が来て,列車を指定して2名分の券を購入しました。2枚で14,880円を請求されて,この時電車賃は高いなと感じました。働いているときは何度も富山や高岡まで出かけており,出張の交通費は会社が負担するのでカードで購入していた私は「高いなあ」とは感じませんでした。
 今回の舳倉島遠征は5泊6日(1泊は輪島の前泊まり)で車で行く計画だったので,交通費は1万円程度だったのですが電車で行くと2万円(乗船券別)程度必要となり,船の欠航がなく予定通り行くと遠征費用は6万円程となります。(安いのやら,高いのやら)これまでは,車を持てない私は遠くに行けず年2回は遠くの遠征を行っていたのですが,今年からは1回になりました。
 その後,銀行に立ち寄り遠征費用+小遣いを下ろして,自宅に向かうと雨が降り出していました。これまで,9回の遠征で往路の船の欠航はなかったのですが,今回は心配になってきました。

 昨夜,5〜7日まで舳倉島に行かれていた人(初めての訪島で,私と一緒に行く可能性のあった人・・・来年は?)より野鳥情報が入りました。NETでも少し情報が流れていたのですが,今年は渡りが1週間ほど遅れており野鳥が少ないと多くのカメラマンが言っていたそうです。そして,珍鳥の出現はなく,大阪では撮影できないシロハラホオジロ,キマユホオジロ,ツメナガセキレイ,ノジコ(多い)が撮影できたそうでチョウセンチョウゲンボウは抜けていたそうです。(私なら,ガッカリする成果です。)また,9日の情報でも代わり映えしない様です。
 私は,16〜20日まで舳倉島に滞在するのでライファーな野鳥(特に珍鳥)出現に期待したいです。なお,昨年の舳倉島(14〜17日)は過去に経験したことがないくらい野鳥の種類が少なくライファーはチフチャフだけだったのですが,私が離島した17日と18日にはイワミセキレイ,ヤマヒバリ,カラフトムジセッカ,チゴモズ,シマセンニュウが入ったそうでした。残念!

 因みに,現在オモチャのカメラで野鳥を追い回すことで有名な大阪の女性が初めての舳倉島遠征に行ったそうですが,近年この様な輩の訪島が増えています。野鳥の聖地だった舳倉島が荒らされています。「誰や!こんな奴を連れていくのは!」私が行く16日には,居ないはずなので良かった。
2013年5月8日(水) 綺麗なノゴマ
 GWも終わり夏鳥が少なくなったのでカメラマンの数も減ったのと,そろそろサンコウチョウもやってくるのではと考え今日も大阪城に行きました。大阪城では,早ければ5月の連休の終盤に,遅いときは5月8日にサンコウチョウが飛来し(大阪城での野鳥歴9年から,飛来しない年もありますが。),撮影は愛の森入口のハリエンジュの花(虫を食べるため)にやって来る時が最適です。今日確認するとハリエンジュは満開の見頃でした。この場所では花絡みでサンコウチョウを撮影できるのですが,距離があるので500mm(画像素子APS−Cカメラ)レンズが必要です。
 今日は10時過ぎに市民の森を自転車で通ると,知りあいのカメラマンから「天守閣の排水池下にノゴマが出ており,多くのカメラマンが集まっている。」との情報を頂きました。排水池の下ならネット越しの撮影となるので私の趣味ではないのですが,今期はノゴマを撮影していないので様子を見に行きました。すると,ノゴマはツツジの植え込みの中に出ており,多くのカメラマンが取り囲んでいました。殆ど知らないカメラマンばかりだったのですが,一番前に座らせて貰いました。今日持参したレンズは400mmだったのですが,野鳥が大ききなりすぎる(「デジスコの撮影ではあるまいし,大きいだけが能じゃない。」と嫌みを言われる。)ですが,カメラマンが多く下がれませんでした。500mmレンズを持参しなくて良かった!
 
 15時半までツツジを絡めてノゴマを撮影しましたが,今期大阪城で撮影していないコルリが排水池下で2羽出ていましたが,背景がネットになるので撮影する気にはなりませんでした。また,帰路で音楽堂上にコルリが出ていましたが,見下ろして撮影する場所なので背景が悪くパスしました。
2013年5月6日(月) 里帰り
 今年も弟夫婦が例年通り3日から6日まで家を空けるので,92歳となったを一人で留守番させるわけには行きません。何しろ何が起こるか判らない年齢なのです。3日は昼過ぎにお供え母の誕生祝い(4月で92歳)を持参して実家に帰りました。高齢でも母は女性なので着るもののプレゼントを喜びますので,家内が*万円の夏でも着られる薄手の長袖シャツを買ってきました。母にそれを渡すと,「ええもんを貰って。」と喜んでくれました。どうも,お洒落な母は病院や整骨院で「いつも,ええもんを着てはるネ。」と言って貰えるのが嬉しいらしく,安物はプレゼントできません。因みに,母は年齢よりもかなり若く見えるので,私と家内と思われることが屡々あります。

 実家は飲食店をやっており弟夫婦の夕食は遅くなるので,母はいつも一人で食事を摂ります。そこで,3日の夕食は叔母さん2名を呼んで,家内を含めて5人で摂ることにしました。夕食は家内に用意して貰いにぎり寿司,ステーキサラダ,オダマキ蒸しとしました。にぎり寿司は有名店の寿司として,母は特にアナゴ1匹を使用したにぎり寿司を気に入り「こんなに美味しい寿司を食べたことがない。」と2個も食べました。そして,ステーキサラダ用の肉も奮発したので,「柔らかくて美味しい。」と喜んでくれました。5人で賑やかに夕食を摂ったので,母の食は進み車エビやトロのにぎり寿司を美味しそうに食べたのですが,私は母が食べすぎでしんどくならないか気がかりでした。
 一方,私は肉少々と醤油を付けないにぎり寿司しか食べられず,それでも少し食べ過ぎたので喉がやけに渇きました。家内は働いたことがなく,貨幣価値が希薄なので贅沢な夕食となりましたが,母が喜んでくれたので値打ちがありました。食後に母が「高かったやろ。半分お金を出すわ。」と言ったのですが,「これぐらいの食事ぐらい,何ともないわ。」と強がりを言いました。現役時代なら・・・とこの日も思いました。働くことは経済的にも精神的にも豊にさせてくれます。

 3日は叔母が実家に泊まってくれることになり,私と家内は自宅に帰りました。寝付きの悪い私は,布団が代わると益々それが酷くなり,寝ている部屋は和室で夜明けと共に明るくなるので寝不足となるのです。

 4日の昼から実家に戻り,2泊して今日自宅に戻ってきました。
2013年5月2日(木) 絶対に行くぞ!
 2月初めに,やっと舳倉島民宿つき」に電話が通じて,5月16日から4泊の予約が取れました。例年は2名予約で無理をお願いしたのですが,今年は4名なので無理は言えませんでした。ところが,3月初めに1名が行けなくなり,4月初めにもう1名が行けなくなったので,折角4名分宿を確保しているのだからと初めて訪島される方1名を誘い3名で行くことにしました。
 しかし,29日の夕方に車を出していただける人から電話があり,「カメラを落下させて壊れた。修理に出したら,返却予定日が5月11日と言われた。15日出発に対して余裕が無いので悩んでいる。」とのことでした。私の今までの経験(カメラ&レンズの故障)から,修理予定日より早く出来上がっているのですが,責任を持って「間に合います。」とは言えません。(3日間の余裕があるので問題ないと思うのですが。)予備カメラが無いそうなので,知人からカメラを借りる,レンタルする,新規購入する等の手段もあるのですがネ。是非とも舳倉島に行きたいという想いが感じられなかったので,私は「悩んでいるのなら舳倉島行きは止めた方が良い。」と答えを出しました。
 私の経験(大阪城で2回カメラやレンズの故障で撮影を止めて帰宅した。)からは,カメラやレンズ等の機械ものはいつ壊れるか判らないので,泊まりがけの遠征時には予備カメラと予備レンズは必需品だと思っているのだが。今回は5泊6日の野鳥遠征だったので,初日に撮影機材が壊れると・・・考えると恐ろしくなります。 人それぞれ,信念があるので個人の勝手ですが。

 舳倉島遠征には撮影機材や着替え等の荷物が多く,過去9回は全て車に乗せていただいていたので,昨年急遽舳倉島遠征をお誘いしたが都合が悪く行けなかった人(車を出せる人)に電話を入れると,「今年はお誘いがなかったので先日民宿に電話を入れたら5月5日だけ泊まれる事になったので。」と断られました。その他の方もお誘いしたのですが,長期の遠征と遠いので同行者は見つかりませんでした。私の知りあいは,私よりお年寄りの方が多く健康上の問題もありますから。(以前,大阪の方が急病となり舳倉島から自衛隊のヘリで病院に運ばれたこともあった。)

 今回で10回目の舳倉島遠征となり,年々体力の低下(特に腰痛)が酷くなり最後の遠征となる可能性もあり電車を乗り継いででも是非行きたいのです。そして,珍鳥との遭遇確率が高いのでレンズは504を持参したいのですが,車で行けないので荷物(予備カメラ&レンズも)を軽くする必要があり,腰痛の心配もあるので泣く泣く456(400mmF5.6)をメインレンズとすることにしました。昨年も,踵の骨折が完治しないのに舳倉島に行った際は知人より328を借用したのでした。因みに,2006年より舳倉島遠征は始まりましたが,当時の舳倉島カメラマンのレンズは328が最低で504が普通,604が一番多かったのでが,近年はオモチャのカメラやレンズで珍鳥を追い回す人が増えて落ちぶれました
 そして,来年のことは判りませんが来年の民宿の予約をしておき,5日に舳倉島に行かれた方(多分,舳倉島にはまるはず。)と一緒に行くことにします。(予定)。

 今日は11時前に大阪城に行きました。重くて舳倉島に持参できない500mmレンズを自転車に積んでいきました。このレンズは2月の岡山遠征以来使用しておらず,頭と同様に使わないと呆けてくるので持参したのですが,危惧したことが起こりました。野鳥を馬鹿でかく撮影する気は毛頭ないので,下がって撮影していると短いレンズの手持ち撮影の輩(馬鹿)が鳥に近づいて飛ばしてくれます。鳥は警戒して高枝止まりとなり,腹部ばかりが目立つ撮影となりました。これだから,大阪城での野鳥撮影は嫌気がさしだしたのですが。
 因みに,今日の大阪城のカメラマンは100名を越えていたと思いますが,328以上の大砲レンズで撮影している人は10名も居なかったと思います。また,野鳥の動きが代わったようでオオルリの雄若や雌が目立つようになり,大阪城で13羽?いました。そして,キビタキの雄若も目立ち初め,これも38羽?いてオオルリ,キビタキが大噴火しています。(何のこっちゃ?